私は、古事記にある次の歌がだいすきである。
このみきを かみけむひとは そのつづみ うすにたてて 歌ひつつ かみけれかも 舞ひつつ かみけれかも このみきの みきの あやにうただのし ささ
この意味は このお酒を醸(か)んだ人は その鼓を臼のように立ててたたきながら 歌いながら醸(か)んだからだろうか 舞いながら醸(か)んだからだろうか このお酒は、このお酒は 本当に楽しい味がするなあ ささ
ということであり、お酒を作る時の、作る人の楽しい気持ちがお酒の味に込められている事が歌われており、ものづくり屋はつくったものに、心を込める事が出来る事を素朴に主張しているように思えるからである。 心を込めたものづくりが、機械技術者にも今大切と思われる。
さて機械技術者が心を込めたものづくりをするために存念の根底に置かねばならない事は、鉄の塊で出来た機械に心ありとすれば、その心は論理でしか動かすことが出来ないと言う事である。 例えば、その機械が3000Hzの振動数で材料の疲労限を超える振動応力を発生する共振現象を起こしているとしよう。その材料のS−Nカーブが10の8乗回でフラットになっているとすれば、その共振現象でその機械は最も長く生き永らえたとして、10時間である。従ってその機械を機械工学以外の領域で絶大な権力、権威を有してはいるがその現象の怖さを理解しない人が、その権力、権威に物言わせて、運転継続を命令したとしても10時間後には機械は壊れ、結果としてその人の絶大なる権力、権威に疵をつける事になる。他に金力をもってしても、情実をもってしても、いずれも人の心はあるいは捻じ曲げる事は出来るかもしれないが、鉄の塊の心は動かす事が出来ないのである。繰り返しになるが唯一鉄の塊の心を動かす事が出来るのは論理によってである。 勝負が早く分りやすいと考えて、機械が壊れる現象を例にとって説明をしたが、実際には、"機械及び機械システムならびに関連する分野"にかかわる専門機械技術者集団ならびに企業特別員からなる機械学会員全てが夫々の専門領域で論理に磨きをかけることによって権威を身につけ、心を込めたものづくりを通して社会に貢献し社会的地位を向上させ、例えば、持続的に発展可能な循環型社会の構築の重要な役割を果たしたいものである。
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