日本学術会議と日本バイオメカニクス研究連絡協議会の主催、北海道、札幌市、及び日本機械学会など国内外関連38学会の後援で、頭記会議を平成10年8月2日(日)から8日(土)の間、北海道大学を主会場として札幌市内で開催した。日本は欧米各国から地理的に遠いことや、物価が高いなどの理由で、前回(1994年、アムステルダム自由大学)や前々回(1990年、カリフォルニア大学サンディエゴ)よりかなり参加者が減少するものと予想していたが、それでも31ヶ国1地域から合計989名(学生135名、同伴者80名を含む)の参加があった。10名以上の参加国、地域は、日本(530)、米国(186)、イギリス(50)、オランダ(23)、スイス(21)、中国(19)、ドイツ(17)、台湾(15)、フランス(15)、韓国(12)、カナダ(11)、オーストリア(10)であり、注目したいのは、我が国で開催の国際会議にしては外国からの参加者数(459)が多く、我が国からの参加者数に匹敵するほどであった点である。
アブストラクト審査を経てプログラム委員会が発表を受理した件数は、日本364、米国246、イギリス83、中国40、オランダ34、フランス29、ドイツ25、スイス25、台湾23、ロシア19などであったが、122件のキャンセルがあり、結局5件の特別講演と15件の基調講演を含めて合計925件の発表が行われた。会議は、8月2日のサッポロファクトリーホールでの参加受け付けとレセプションで開始され、翌日の開会式では石川博將組織委員会副委員長の司会のもとに、私の組織委員会委員長としての歓迎の挨拶に引き続き、主催者としての吉川弘之日本学術会議会長と松崎雄嗣日本バイオメカニクス研究連絡協議会会長の挨拶、丹保憲仁北海道大学総長の祝辞、母体機関である世界バイオメカニクス評議会のY.C. Fung会長の特別スピーチがあり、この間内閣総理大臣からの祝電が披露された。
引き続いて開催された学術プログラムでは、2つのポスター会場を含む合計14の会場で研究発表と討論が行われた。ほとんど全ての会場には50名以上の出席者があり、最新の研究発表と熱心な討論が行われた。8月6日の午後はエクスカーションとして北海道開拓村を訪問して道内の数々の歴史的な建造物等を見物し、また引き続いてサッポロビール園で開催されたバンケットでは札幌ビールとジンギスカンを味わった。このバンケットは非常に好評で、極めて和やかな雰囲気のもとに、席を乱しながらの新旧友人との交流となり、予定の飲み放題の2時間を倍するほどの長居となり、会計をはらはらさせたほどである。
同伴者プログラムとしては、札幌国際プラザの協力のもとに、北海道大学構内散策ツアー、北海道庁赤れんが/植物園ツアー、日本伝統文化紹介ツアーが用意され、とくに茶道、着付け、生け花、書道、折り紙を北海道神宮と旭山公園ツアーと組み合わせた日本伝統文化紹介ツアーは非常に好評であった。
会議期間中にはJR北海道が札幌駅と新千歳空港駅構内及び会場内に旅行等の案内デスクを、札幌国際プラザが会場内に市内案内のデスクを出し、さらにJR北海道は新千歳空港ー札幌間の記念乗車切符を発行し、参加者の便宜をはかったが、これらはいずれも大変好評であった。折から大通公園では恒例のビール祭りが、またススキノではススキノ祭りが開催され、毎夕多くの参加者がこれらを楽しみ、市内には外国人の姿がここかしこに見られた。
8月8日の閉会式では、林組織委員会委員長の総括報告、松崎プログラム部会部会長とFung世界バイオメカニクス評議会会長の謝辞に引き続き、2002年にカナダのカルガリーで開催予定の第4回会議の組織委員会委員長であるNigg教授から 挨拶があり、最後に平澤泰介組織委員会副委員長から閉会宣言が行われ、全日程を終了した。
これだけの規模の会議では、コンベンション会社に会議の準備と運営を委託するのが通例であるが、財政的な問題も危惧されたので今回の会議ではこれに頼らず、まさに手作りで会議の準備と運営にあたった。そのために、大阪大学の会議本部事務局、名古屋大学のプログラム部会事務局、北海道大学の開催地部会事務局とプロジェクトチーム、札幌国際プラザ(同伴者プログラム、市内案内、ボランティア派遣等)、JR北海道(付帯行事、宿泊ホテル、観光ツアー、旅行等)、及び日本学術振興会(募金事務)には言葉では言い尽くせないほど大きなお世話になった。ここに記して感謝の意を表する。手作りであったことが逆に幸いして、担当者の暖かくて親切な対応と円滑な会議運営に対して、会議後国内外から多くの感謝の言葉が寄せられた。
また、会議の企画、準備、運営に並々ならぬ協力をされた組織委員会(林紘三郎委員長、石川博將、平澤泰介、松崎雄嗣副委員長、田中正夫幹事)、プログラム部会(松崎雄嗣部会長、中村孝志副部会長、田中英一幹事)、開催地部会(石川博將部会長、金田清志副部会長、但野茂幹事)、募金委員会(平澤泰介委員長、立石哲也副委員長、高井信朗幹事)、経理部会(藤江裕道部会長)、国際委員会(松崎雄嗣委員長)、及び世界バイオメカニクス評議会(Y.C. Fung委員長)の委員各位に深甚の謝意を表する。
最後に、思わしくない経済状況にありながらも財政援助を寄せられた北海道、札幌市を始めとする多くの機関、団体、会社、並びに積極的に会議を盛り上げて頂いた参加者各位に厚くお礼申し上げる。
なお、アブストラクト集と会議プログラムに残部があるので、購入希望者は事務局(〒560-8531豊中市待兼山町1-3、大阪大学大学院基礎工学研究科機械科学専攻 藤江裕道、TEL: 06-850-61702、Fax: 06-850-6171、E-mail: jared@me.es.osaka-u.ac.jp)まで連絡されたい。
(編集者)Third World Congress of Biomechanics (WCB'98)が1998年8月2日から8日の7日間にわたって北海道大学にて開催され、多岐にわたる分野で1000件を超える講演が行われた。会場を見渡せば始めて国際会議に参加したという若い日本人研究者も多数見受けられた。そこで登壇者の中でもほぼ最年少と思われるお2人に寄稿を願った。
・坪田健一
私はWCB98に初めての国際会議として参加させて頂いた。それまで、何回か国内の学会で発表を行っているので、気がつくといろいろな物事に対して国内の学会のそれと比較してしまっていた。学会の規模の大きさ、研究内容の多彩さ等は、最初はどれも新鮮であった。また、文献でしか見たことがない方の発表が間近で見られ、さらに、いろいろな先生方および同年代の方とお話できたのは何よりも幸運であった。ただ、3日目ぐらいになると,日本人とその他の国の方、つまり外国人との違いがだんだんと目につくようになってきた。意外とラフな服装、時間をあまり気にしないなど、外国の学会のスタイルの一端(決して悪い意味ではない)を垣間見れたのだが、一番印象的だったのは、特に若い外国人の方が非常に積極的であったことで、これでもかというぐらい議論を戦わす姿勢に圧倒された。
私も含めて、若い日本人の中にこのような方を見ることができなかったが、この理由が言葉の壁か,文化の違いか,答えは出なかったが、結論として、随分見習わないといけないと思った。私自身が発表の時、英語の質問がよく分からないことがあったが、これも克服しないと、と反省することが多かった。今思うと、この国際会議に出席したおかげで、細かいことをそれほど気にしなくなったような気がする。ただ、ついでに英語も上達していると嬉しいのだが、こればかりはこれからも精進していく必要があるようだ。
・星合壮大
私は、Bone Biomechanicsのセッションで「Effects of mechanical stimulus onproliferationrate and morphology of cultured osteoblasts(培養骨芽細胞の増殖率と形態に及ぼす力学的刺激の影響)」について口頭発表を行った。発表自体は練習の甲斐あって無難にこなすことが出来たが、質問はほとんど理解することが出来なかった。それでも最初の質問は座長のEiichi Fukada先生に助けていただき、何とか答えることが出来たが、次の質問は全く答えることが出来なかった。自分の発表が終わってしまうと学会はとても楽しいものへと変貌し、会議中に行われたHistoricalVillage of HokkaidoへのExcursionとSapporo Beer Garden & Museumで行われたBanquetでは、座長をして下さったFukada先生と大変有意義な議論を交わすことが出来た。こうして私の初めての国際会議は、とても良い経験となり終了した。また、自分の発表に対する質問に答えることが出来なかったことから、英語の勉強の重要性を強く感じた。
・最後に
林紘三郎教授をはじめWCB'98の運営に御尽力下さった関係者の方々に深く感謝申し上げるとともに、我々2人のWCB'98への参加に際し様々な面で御指導いただいた冨田佳宏教授,安達泰治助教授にお礼申し上げます。
(右:坪田、左:星合)