1.部門長あいさつ      

〈1999年をこんな年に過激な独り言〉      

部門長 清水優史 

東京工業大学大学院



 昨年、1998年は私にとっては学ぶこと、考えることの多い、面白い年であった。マスコミは一年中、まるで気が狂ったのではないかと思える程、日本経済がいかに不況であるかを報道し続けた。

 山本七平氏の「ある異常体験者の偏見」という本の中に、扇動の方法論が解説されている。それによると、扇動の原則は、まず一種の集団ヒステリーを起こさせ、そのヒステリーで人々を盲目にし、同時にそのヒステリーから生じるエネルギーがある対象に向うように誘導する、だそうである。また集団ヒステリーを起こさせる方法は、あくまで「事実」だけを披露して、自分の意見や主張を述べず、受け手に判断させているように錯覚させ、そのくせ事実の並べ方で受け手を誘導する、のだそうである。

 昨今のマスコミの不況報道をこの方法論に対応させて見たとき、われわれはうまく誘導され集団ヒステリーに陥っているとは考えられないであろうか。すなわち、事実だけを報道していると言いながら、その実、不況であることは悪いことであり、この悪い状態から抜け出せないのは政府が適切な手を打たないからだ、と受け手が考えるように誘導していると言えないであろうか。

 不況であることは本当に悪いことなのであろうか。このことを自分で考えて見ることは大切なことである。なぜなら、我々は基本的なことを正しく判断するため、時間とエネルギーを使って自分で考える、という習慣を持っていないからである。一時、日本人は科学技術の分野での創造性が不足しているから、何とかして創造性を高めなければならない、という議論が蔓延したことがあった。実は我々に不足しているのは、この基本的なことを自分で考える習慣なのである。この習慣は高い創造性の基本になる。

 自分で考える際に非常に重要なのは「自由な発想」である。常識、経験、感情などに制限されず自由に発想しながら、データや情報を集め、これらをもとに自ら考え判断する。このような習慣が科学技術分野での創造性のためにも、我々の社会をもう少し住みよいものにするためにも必要である。なぜなら、創造とは今までにない新しいこと、または物を作り出すことである。例えば今までにない経済理論を作り出すには、不況って本当に悪いのか?、と考えるくらいの自由な発想は不可欠である。

 今の我々の生活は物質的には12分に満たされている。私の場合、戦後、こんな生活ができたらと描いていた状況はとっくに満たされた。人は欲望の動物である。欲望には食欲のように、欲望が満たされるとそれが減少するものと、金銭欲のように満たされるとさらに大きくなるものとあるという。これまで人類は後者に支配されて発展してきたと言えるであろう。その結果地球にも限界が見えてきた。今、真に創造的な人間が必要である。

 BEの一分野、医用工学の研究にも大きく不足しているところがあるように思える。この長寿社会の一番大きな問題はいかに死ぬかであろう。ほとんどの研究は病気を直すことにつながるものである。今後必要なのは、単に治すだけでなく「55歳以後このような生活をすれば、70才以降確実に強い脳溢血になり数日で死ぬ」ような事を明らかにする研究ではないであろうか。

 1999年が、大きな創造的な研究の芽生える年になるといいな。



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