3−1.「人」と向き合う物作り
慶應義塾大学理工学部
山崎 信寿
いきなりですが、まず、図を見て下さい。図中のa,b共にcの靴型に合うとされる同一サイズの足です。靴素材の変形があるとしても、同じ靴を履かせるのは無理だと思いますよね。でも、現実にはこのまま我慢するか、サイズを変えて結局合わない靴を履いています。これだけ科学技術が進みながら、どうしてこんな身近なことも満足させられないのでしょうか。そんな義憤に駆られて?もう20年近く足と靴をいじっていますが、はっきり言って泥沼にはまっています。被験者として履いた靴がぴったりで、どうしても欲しいと尋ねてくる人もいれば、今度こそと思った靴に新たな不具合がでたり、実に微妙なんです。
a.直線的な足 b.曲がった足 c.靴型
図:同一サイズの足型と靴型
近年の工業製品のほとんどは、ヒトを基準化し、製品を標準化することで、安価で高品質という至難の業を達成しました。しかし、物が十分にあっても、自分に合わなければ価値はありません。これを関係的価値と言います。ところで、ここでは「ヒトを基準化」と書きました。このときの「ヒト」は生物としてのヒトであり、人格などは意識していません。ところが、「人」と書くと、何となくあれこれ特定の顔が浮かんでくるような気がしませんか? そこが大事なところです。関係的価値は個々の「人」に対する物作りから生まれてきます。しかし、現在の技術は、人の多様性に向き合う知恵を持っていません。もちろん、昔から注文生産というのはありましたが、洋服でも仮縫いがあるように、もっと密着した靴では3回目でようやく合格しました。ちなみに、靴型作りからのフルオーダー靴は1足30万円ぐらいします。それでもすぐにぴったりした物ができないのは、目の前に対象があっても、そのあまりの多様性に、何をどう測り、どう変換して物にするのか、さっぱり分からないからです。
このような経験は、その後始めた椅子やベッドについても全く同じでした。しかし、それらを買おうとする人は、「私」に合う物を求めています。そのような方々に、自信を持ってお勧めできないことが恥ずかしく、また残念に思います。靴や椅子はほんの一例に過ぎません。もし、個々の「人」の視点から物作りができる技術が確立されれば、従来技術ではそもそも分布の外として平均値の中にも含まれていなかった障害を持つ方々まで、低価格で高品質、かつ関係的価値が高い物を提供できるはずです。
そんな日がくることを夢見て、「人の側から技術を問い直す」新しい大学院教育を始めようとしています。
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