3.バイオエンジニアリングの歴史
  手術支援ロボット開発の現状と今後の展望


        	       伊関 洋、南部恭二郎***、橋本大定**、土肥健純*

		  東京女子医科大学脳神経センタ−脳神経外科、
		  東京大学工学部*、東京警察病院外科**、東芝那須工場***


「はじめに」

 外科医にとって手術支援ロボットとは、従来使用しているハサミやメスなど
の器具に加えるべき、高機能で使いやすい手術デバイスでなくてはならない。
設定された命令だけを忠実に遂行する産業用ロボットのようなものは医療には
適さない。むしろ、思うままに動く道具であって、外科医の肉体的技能によら
ず一定の微細操作能力で手術ができるものが望ましい。 手術支援ロボットは
少なくとも以下の三つの機能を持っていなければならない。1)対象組織を的確
に手術する「手」を提供する。2)外科医が手術対象物をしっかり確認し・観察
するための「目」を提供する。3)手術中に手術を誘導(ナビゲーション)する
ための情報を「目」の情報と統合して提供する。 我々が目指す手術支援ロボッ
トとは、外科医の新しい目と手(advanced vision and hands for surgery)と
なるインテリジェント・マニピュレータシステムである。即ち、手術デバイス
単体ではなく、上記の三つの機能を持つ総合的システムである。これらの要求
を満たす事は決して容易ではない。ロボット工学のみならず生体材料、医用画
像工学、認知科学など広範な分野にまたがる手術工学(surgical engineering)
と、その手術支援ロボットを使いこなすためのコンピュータ外科(CAS)を含む
先端工学外科学(advanced engineering surgery)が必要である。


「低侵襲手術における手術支援ロボットの意義」

 低侵襲手術(minimally invasive surgery)とは、手術に伴う生体組織の損傷
を最低限にすることをめざした手術方法の事である。手術の効果が確実で、高
齢者など体力の弱った患者にも安全であり、また入院期間やリハビリ期間が短
縮できると期待される。 低侵襲手術では、なるべく小さく切り、狭い経路を
通って目標に到達する。そして正確で適切な操作を行う。しかも手術時間が短
くなくてはならない。このために術前に医療情報・画像情報を収集して分析し、
また手術の経過を手術シミュレーションで予想して、手術計画を立案する。さ
らに術中に計画の手直しが必要になった時に備えて判断の材料となる情報を整
理して手術戦略(strat-egy)を準備する。手術中には計画を参照しつつ操作を
行ない、また状況に応じて手術戦略を的確に適用する。 低侵襲手術は着実に
成果を上げているが、外科医が手で手術操作を行うという事が限界を決めてい
る。手術支援ロボットはこの限界を突破するための手段として導入される。そ
れゆえ、手術支援ロボットは飽くまでも外科医の手の延長として、自在に操作
できるマニピュレータでなくてはならない。 このマニピュレータを介してほ
とんどすべての手術操作を行うのであるから、マニピュレータは思い通りに動
く自由度と良好な応答性を持ち、十分な力を発生できる必要がある。また、正
確な手術操作を行い、かつ突発的事態にすばやく対応するためには、手術操作
は必ず外科医の目視下で行われなくてはならない。従って術野を捉える「目」
を持っている必要がある。狭い経路を通って深い位置にある目標に到達し、ま
た手術戦略に基づいて状況に適切に対応するためには、手術戦略や位置の情報
を常時ビジュアルに提供し手術をナビゲーションする必要がある。つまり、手
術支援ロボットシステムは目と手とナビゲーションの機能を備えていなくては
ならない。


「手術支援ロボットの視覚機能」

 視覚機能は外科医が手術操作を目で確認しながら行うためのものであるから
(図1)、術野を立体視できる事、および細かい組織構造を識別するのに十分
な解像度を持つ事が必要である。従って双眼手術顕微鏡もしくは立体内視鏡を
使用するのが適当である。両者を併用しても良い。すなわちマニピュレータの
進入経路を確保する過程では顕微鏡を使い、マニピュレータ先端での微細操作
はマニピュレータに組み込まれた内視鏡を使う。
 手術支援ロボットシステムは執刀医にナビゲーション用の映像情報を提供す
る。しかし、手術顕微鏡の接眼鏡を覗いて手術をする場合、ナビゲーション情
報やCTなどの画像情報を参照するためにはその都度操作を中断しなくてはなら
ない。この難点は立体ビデオ顕微鏡[望月: 1994]を用いると解消できる。
 立体ビデオ顕微鏡では、顕微鏡の映像をビデオカメラで撮影し三次元モニタ
に表示する。執刀医は接眼鏡を覗く代わりに三次元モニタで術野の映像を見な
がら手術を行う。無論、これには、接眼鏡を覗きながら手術をする場合と同様、
多少の訓練が必要である。
 術野の映像をいったん電気信号に変換してしまうので、種々の信号処理を行
うことが可能になる。特にナビゲーション情報を術野の映像にスーパーインポー
ズすると、執刀医は術野から目を離さずにこれを参照できる。また同じモニタ
に立体内視鏡の映像を出すこともできる。
 さらに、立体ビデオ顕微鏡では術野の映像をビデオ信号としてどこにでも配
送できる。すなわち手術スタッフ(手術助手、看護婦、麻酔医など)がそれぞ
れの持ち場に配置したモニターを使って執刀医と同じ映像を立体視し、手術操
作の内容を常時把握していられる。その結果、手術スタッフは術者を適切に支
援する事ができる。手術室外で手術の状況を見ることもできる。また執刀医は
接眼鏡を覗かなくて良いので、顕微鏡の位置によって執刀医の姿勢が制約され
ることがなく、常に最良の姿勢を保って手術ができる。これは外科医にとって
は重要な利点である。
 このように、立体ビデオ顕微鏡は手術顕微鏡の概念を刷新する。現在、立体
ビデオ顕微鏡のプロトタイプを臨床に応用中である。ビデオカメラは従来のテ
レビ用NTSC方式を使用し、モニタとしては裸眼立体視のできる液晶ディスプレ
イを用いている。現時点では画質に不満があるが、執刀医の手術姿勢の改善は
顕著である。また近々ビデオカメラをハイビジョンにグレードアップして、こ
れまでの約6倍の情報量が得られるようにする予定である。

図5 立体ビデオ顕微鏡を用いた手術の様子
「手術支援ロボットのメカニズム」  産業用ロボットが稼働している周囲には人がいない。これは無人で作業でき るからというよりも、むしろ安全対策としての意味を持っている。しかし人体 に直接影響を及ぼす手術支援ロボットにおいては、安全性についての考え方を 根底から見直さなくてはならない。  外科医の思うままに様々な操作を行うための自由度と、安全のため必要以外 の箇所に力を及ぼさないという制約とを両立させる方法として、工学的には二 つのアプローチがある。ひとつは機構的に制約を付け、手術操作に必要な自由 度以外は禁止してしまう方法である。もうひとつは機構的には十分な自由度を 持たせ、センサーで状態を監視し、ソフトウエアで動作を制約することによっ て安全性を確保する、という方法である。前者ではあまり制約が強いと手術操 作ができない。そこで危険性が増える事を承知で自由度を加える必要がある。 従って操作者は操作に習熟していなくてはならない。操作者の責任の元に、設 計者が想定していなかった様なアクロバティックな使い方をする場合も生じる かも知れない。後者はひとつの装置で様々な動きが可能である。また危険な動 きや無理な使い方をしようとするとソフトウエアが動作を禁止する。便利なよ うだが、出血などの緊急時に思った通りに動かないとかえって危険である。ま た万一制御システムが暴走すれば極めて危ない。  従って、手術支援ロボットにおいてはセンサーやソフトウエアだけに頼らず 機構的に制約を付けてしまうべきであろう。使い方によっては危険性があるが、 手術支援ロボットはハサミやメスと同様器具の一種であるとする観点からはむ しろ当然の事である。この器具を操作者が思いのままに扱えるように使いやす くする事によってこそ安全性が向上する。  従来の手術器具をそのままの形で微細化し遠隔操作できるようにすることは、 必ずしも良いデザインではない。押し広げながら切る、洗いながら吸引する、 などの頻繁に行われる複合動作をひとつのデバイスでできるようにすれば、操 作も制御も簡単になる。  操作対象となる組織は容易に変形しうるので、単に座標の数値に従って動作 するわけにはいかない。このためにも必ず目視下で操作を行う。また手術器具 を手に持って操作する際、外科医は手応えの極めて微妙な感覚を利用している。 マニピュレータを介して手術を行う場合には、手応えをいかにして外科医にフィー ドバックするかが重要な課題である。現在の技術では手応えの感覚をバーチャ ルリアリティとしてフィードバックすることは難しい。たとえば、骨に突き当 たって前に進めない、という時の手応えの感覚を模擬するには、操作者の手に かなり強力なモータで力を加えることになる。またリアルタイムで応答するこ とも容易でない。むしろ、このようなフィードバックには代行感覚を用いるの が適当である。接触したかどうか、力の大きさ、硬さ、滑らかさなどをセンサー で測定し、それらを統合して図形・色・音などに置き換え、リアルタイムで表 示するのである。温度や匂いも、また人間が本来持っていない感覚、たとえば 物体からどのくらい離れているかを表す「近接覚」も同じ体系で表現すること ができる。 「微細操作手術のための手術用マニピュレータ:CM cube (CM3)」  多チャンネル型マニピュレータCM3(CM cube: Com-puter aided Micro-Multichannel-Manipulator)[伊関、1996]はこうした要求をもとに提案 された微細手術支援システムである(図2)。CM3は直径10〜15mmの円筒形を しており、この円筒を組織に挿入してその先端で微細手術を行う。CM3を挿入 し保持するためにはneuro-CAB (Computer Aided Base frame)装置を使用する。 この装置はCM3をあらかじめ設定された経路を通して目標点に正確に挿入し、 またナビゲーションに必要な位置情報を管理する。  円筒を挿入することによって手術対象部位が変形や移動を起こしにくくなり、 また円筒の外部には一切危害が及ぶ恐れがない。CM3には軸にそって複数の穴 (channel)があり、そこを通して一度に数本の l mm径の手術デバイスと数mm 径の立体硬性鏡とを目標点に到達させる。特に、立体硬性鏡は円筒の中心軸か らずれた位置にあるので、円筒を回転させることによって術野を観察する角度 を変える事ができる。  これらのデバイスそれぞれが遠隔操作されるマニピュレータであり、1cm3程 度の容積の範囲内で操作を行う自由度を持ち、また力覚などのセンサーを備え ている。個々のデバイスの機能は限定されており、切る、挟む、焼くなどの目 的に応じて特化している。同時に複数のデバイスが協調動作することによって 様々な操作を行うことができる。さらに必要に応じてchannelに入れる手術デ バイスを交換できる。こうして、いったん設置したCM3の円筒を動かす事なく、 種々の手術操作を加えることができる。  医師は三次元モニタに表示される立体硬性鏡の映像やセンサーによる代行感 覚の表示を見ながら操作盤を使って操作を行う。複数の医師がひとつのCM3を 共同で操作することもできる。  現時点では、手で操作する従来の微細手術デバイスをCM3の円筒に入れ、こ れをneuro-CABに搭載したシステムを試用中である。

図2 微細手術支援システム
「手術支援ロボットにおけるナビゲーション」  手術中にナビゲーション情報を提供するためには、あらかじめ手術戦略をシ ステムに取り込んでおく必要がある。この目的のためだけにわざわざ外科医が データを入力するよりも、むしろ、システムが手術戦略の立案作業を支援する 機能を外科医に提供することによって、はじめからシステムの中に手術戦略が 構築されるようにすべきである。  従来から、手術を効率的・的確・スムーズに進められるように、執刀医は術 前に自分の頭の中で手術のシミュレーションや手術計画を行い、そのイメージ に基づいて手術を行っていた。この外科医のイメージ空間をコンピュータの中 に構成した仮想空間(virtual space)で置き換える。執刀医は仮想空間中に三 次元CT画像をはじめとする様々な情報を取り込み、手術シミュレーション[増 谷,1996: 正宗,1996]を行いながら手術戦略を立案する。その結果、仮想空間 には手術時に観察されるであろう形態情報、その機能や重要性、手術予定部位 の範囲、手術の過程に伴う形態の変化の予想図などの様々な情報が、相互に位 置的に対応付けられて蓄積される。こうして手術戦略情報を集約した三次元的 地図を作り上げる。  この地図には手術中にも様々な情報をつけ加えることができる。赤外線や紫 外線で撮影した術野の映像、手術中の超音波断層像やCT画像などは手術操作に よる術野の変化を把握するために必要である。  地図はマニピュレータを制御するために利用できる。たとえば手術中に触れ てはならない箇所に操作を加えようとした時に、これを検知して警告を出すこ とも可能であろう。しかし、執刀医が地図に含まれる情報を最大限に活用する ためには、手術中に随時、執刀医が自分の目でこの地図を参照できる事が最も 重要である。  手術中、執刀医に三次元的地図を立体像として提示するには、三次元プロッ タ(Volume Graph)をはじめとする様々な三次元表示装置が利用できる。たと えばVolume Graphを使うと、実際の患者と三次元的地図とをハーフミラーで重 ね合わせることによって、患者の内部を透視したかのような効果を作り出せる [岩原,1993]。このとき、実際の患者と地図とを位置的に正確に対応付けるこ と(registration)が肝要である。地図がただ表示されているだけでは役に立た ない。Registrationを行って初めて、「目」の情報とナビゲーション情報が統 合され、現実の映像(情景)に種々の情報を増補した事(augmented reality) になる。これこそが外科医がナビゲーション情報を自明に理解し活用するため の必須条件である。 「仮想病院と遠隔手術支援」  コンピュータ内にある仮想空間にナビゲーションのための手術戦略情報が集 約されれば、ネットワークを介してこれを複数の医療従事者が共有することも 可能になる。ひとつの仮想空間の中で医師同士がコミュニケーションを行い、 共同で手術戦略を立案する。また手術中の術野の映像を仮想空間にリアルタイ ムで取り込むことによって、遠隔地で行われている手術を専門家がモニターし、 アドバイスを与えることができる。さらには遠隔操作で手術に参加すること (telesurgery)も考えられる。  そのためのインフラストラクチャーとして、まずCALS (continuous acquisition and lifecycle support: 生産・調達・運用支援統合情報システ ム)を医療に導入する必要がある。すなわち初診から診断・治療まで、患者の 医療データを電子化し、コンピュータ管理する。これらの医療情報をオンライ ン化し、データベースに集約する。さらに、カルテの書き方、画像処理、デー タの形式、通信方法を統一し、病院の内外を問わずデータを共有できるように する。ネットワーク環境としてはメッシュ型の多地点接続形態を持つ回線接続 と情報内容に応じたセキュリティー(暗号化技術)が必要であり、また動画を 短時間で送受信するに足る回線容量も必要である。  次に、仮想空間の中に画像診断支援システムや手術シミュレータなどを設け、 複数の医師がネットワークを介して共同作業を行えるようにする。  こうしてネットワークの上に仮想病院(virtual hospital)が構成される。 仮想病院の構成員(医療従事者)は診断画像や検査データを共有し、相互に画 像・音声を介して通信しながら共同で手術戦略を立案し、手術シミュレーショ ンを行う。さらに手術の進行状況をリアルタイムで把握しながら、執刀医を支 援する。  また、CM3を遠隔地から操作することも原理的には可能であり、仮想病院を 介して専門家が手術操作に参加することが考えられる。ただし通信に伴う応答 の遅れの問題があるので、遠隔操作者は現場にいる執刀医を補助するに留める べきであろう。  仮想病院は手術に限らず、診断や薬物治療など多くの目的に利用でき、遠隔 地でも高度な治療環境を提供できる(telemedicine)と期待される。 「 おわりに」  MRIやCTの発達によって、日常の検査で精確な三次元画像が得られるように なり、手術戦略をコンピュータの中で立案する事が可能になった。また近年め ざましく進歩しているバーチャルリアリティ技術は、立体映像を観察しマニピュ レータを操作するためのヒューマンインターフェースの必須要素となるであろ う。  しかし、手術の対象臓器や目的によって用いる手術操作やナビゲーション情 報は多様であり、たとえば安全性の問題だけをとっても手術ごとに異なるシス テムが必要になることは明らかである。すなわち様々な手術に汎用に使える 「究極の手術支援ロボットシステム」というものはなく、むしろ臨床の現場の 必要に応じて個別の工夫を積み重ねてゆくべきであると考えられる。  尚、本研究の一部は、テルモ科学技術振興財団、平成7年度文部省科学研究 費重点領域研究「人工現実感」、平成7年度厚生省医用マイクロマシン技術開 発研究事業、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)提案公募型最先端分 野研究開発事業の研究費によるものである。 「参考文献」 1)伊関 洋ほか:医療におけるマルチメディアの活用: 医療とVR技術。計測と 制御。Vol.35(1):80-84,1996 2)岩原 誠ほか: 三次元プロッタを用いた臓器の立体表示。第2回コンピュー タ外科研究会論文集、2:9 10,1993. 3)望月 亮ほか: ハイビジョン単カメラ立体視システムの顕微鏡手術への応用。 先端医療、4:101 104,1994. 4)増谷佳孝ほか: 外科医のための三次元画像入門。 監修高倉公朋、土肥健純。 中山書店。1996 5)正宗 賢ほか: 光造形モデルを利用したシミューレータの開発。第5回脳神 経外科コンピュータ研究会抄録集。p.31.1996

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