4-2  「秀才のひみつ」

                               京都大学生体医療工学研究センター
                                              富田 直秀


 村上広報委員長より「医と工の両方の立場から何か書いて下さい」とのご依頼
を受けて、安請け合いしてしまいました。しかし、考えてみれば講演や授業等で
既に何度もお話した内容と重なってしまいますので、ここでは文字どおり「思い
つくままに」書かせていただきます。
 世に病跡学なる分野があります。病跡学(Pathographie)とは傑出した歴史的
人物の精神医学的研究を行う分野であって、いわゆる天才を精神病理の立場から
理解しようとするものです。有名なものにはゲーテ、ニーチェなど、主に分裂病
にかかわるものが多いのですが、癲癇(てんかん)を基礎にしたものはあまり知
られていません。ご存知の方も多いと思いますが、ドフトフスキーは癲癇に罹患
していたと考えられています。癲癇とは脳の神経細胞の異常興奮に基づいて生じ
る様々な症状で、一般に知られる痙攣や意識消失以外にも既視感や不安感といっ
た精神症状が現れる症例もあります。クレッチマーは癲癇患者がしばしば粘着気
質と呼ばれる性格を有していると述べました。ドフトエフスキーの作品の中にも
癲癇発作の前兆として知られるエクスタシーや粘着気質に類似した性格が頻繁に
登場します。その粘着気質とは、凝り性、几帳面、勤勉、誠実、さらに純粋であ
る一方で、頑固でときどき爆発的に怒りだす、執念深い、、、などとされていま
す。現在では癲癇者の性格構造をこのように単一には扱っていませんが、いかが
ですか、ハッと思い当たる方はおられないでしょうか。一般に芸術家などの創造
的な天才の中には精神分裂病が多いと言われていますが、象牙の塔の中にはこの
粘着気質の研究者が多いようです。失敗が続いても研究を途中で放り出すわけに
はいきませんし、時には烈火のごとく怒らないと仕事もうまく進みません。粘着
気質は教授にうってつけの性格かもしれません。
 それは冗談としても、私は低レベルの脳細胞の異常興奮は正常人にも頻発して
いるのではないかと想像しています。脈絡なくふと何かを想い出したり、研究を
していて「ひらめき」を感じたりするのも、神経細胞の異常興奮が他の細胞によ
ってうまく follow された結果なのかもしれません。事実、無症状の脳波異常も
よく見られることのようです。生きることに直接関係しない人間の活動の原動力
は案外こんなところに原因があるのかもしれません。一般に言われる優秀さの中
には「ひらめき」以外にも「努力する能力」つまり、環境から緊張を感じとって
前向きな行動に結びつける能力、が含まれます。優れた研究者がデータの値に一
喜一憂し、食事の時間も忘れて研究に没頭するのも生物学的には過剰反応にあた
るのかもしれません。正常、異常の鑑別は臨床において常に議論となる問題です
が、「天才」のみならず「秀才」も正常と異常とのぎりぎりの所で辛うじて成り
立っている人間の特質のようです。


All Rights Reserved, Copyright (C) 1996, The Japan Society of Mechanical Engineers. Bioengineering Division

目次へ