特別寄稿

ジュピターとモングース ---革新技術と情報活用---

 



鈴木 孝  
(部門業績賞:元日野自動車工業株式会社)


     蒸し暑い日本の夏からは想像し難いが「夏よ、久しかりけれ」とマダム・ノアイユは詠った。 その清々しいイギリスの初夏に、「ジュピター」を求めてベドフォードを訪れた。 ベドフォードはロンドンの北、約70 km 程の田園の中の街である。 「ジュピター」とはローマの神ならぬ1923年に誕生したブリストル社製の航空エンジンで、 また後述する「モングース」とは毒蛇ハブ殺しの名手ならぬ1926年に誕生したアームストロング・シドレー社製の航空エンジンである。 ブリストル社は以後ローマ神話(ギリシャ神話)の神々を、またアームストロング・シドレー社はジャガーなど肉食獣をそれぞれの新エンジンの名称とした。
     さて、1931年日本陸軍は初めての国産戦闘機を制式採用した。中島製で仏人マリー技師を主務とし、 後、第二次大戦中に活躍した隼とか疾風とかの名戦闘機の生みの親となる小山悌技師それに大和田繁次郎技師が協力して設計したパラソル型単葉で91式戦闘機と名付けられた。 この初期型のエンジンがブリストル「ジュピター」で後の中島「寿」エンジンの基礎となったエンジンである。
    この戦闘機の本物の胴体部分が東北の農家の納屋から偶然発見され、それを基にこの戦闘機を復元しようという動きがある事は聞いていた。 ところが突然そのエンジを見つけて貰えないだろうか?という話が飛び込んできたのである。 翼は復元出来る、プロペラも車輪も見付けた、計器なども何とアメリカで見付かったがエンジンが無いというのである。 心当たりの方々に依頼した中からロンドン科学博物館のナーフム博士から耳寄りの情報が飛び込んできた。 ベドフォードにそのエンジンを持っている人がいる、売っても良いと言っていると言うのである。 早速、内容の確認、状況の確認などなど様々のやり取りの後、91式戦闘機復元のリーダー、日本大学の三野助教授と共にベドフォード市から更に田園地帯を迷いながら、 紹介されたスカイスポーツエンジニアリング社、何と言う事は無い畑の中の納屋と見間違うような社屋に辿り着き、 そこから更にビンテージエンジンテクノロジー社に向かい漸く目指す「ジュピター」に巡り会えた。その後、実に多くの方々の善意と御協力によって2006年10月の末、 「ジュピター」は木々の緑が赤く変わりかけた東京に到着、復元グループの手によって今、ブラッシアップされている。
     「ジュピター」は空冷星型9シリンダー480馬力(91式戦闘機用ZF型の呼称)で稼動時のシリンダーの膨張をコンペンセートしてバルブギャップの変化を防ぐリンク装置を特長とし、 日独仏ほか10数カ国でライセンス生産された名エンジンである。 このエンジンのもう一つの特長が、星型であるので放射状に配列されたシリンダーへ混合気を均一に配分するためキャブレターを3連とし、 1つのキャブレターが3シリンダーずつを受け持ちシリンダーまでの通路(マニホールド)をスパイラルにしていることである。 ジュピターのこの巧妙な混合気配分のコンセプトは1927年、リンドバーグの大西洋横断のライアン機に搭載されたアメリカの名エンジン、 ライト社の「ホワールウインド」エンジンにも適用された。
     ジュピターを基とした中島の独自設計の「寿」エンジンは1930年逓信省のタイプテストに合格したが、 日本初の国産航空エンジンはそれより前、1928年にガス電(現日野自動車、コマツゼノア)が開発した「神風(しんぷう)」空冷星型7シリンダーエンジンが、 我が国初のタイプテストに合格していた1)2)。 同社の航空エンジンは以降すべて「風」が付くが中にはロマンチックな「春風」というエンジンもあった。
     さて、同じ無過給エンジン「神風」の混合気配分対策はジュピターとは異なり、 クランク軸に過給機と同じ遠心式のインペラーを装着しクランク軸と同速で回すものであった。 このジュピターに勝る巧妙なアイデアは誰が生んだのか? その原点探しに腐心していたところ、 東京都立航空高専の飯野教授から富塚先生の著書に記述がありますよ、と教えて頂いた3)。 富塚先生の謦咳に接した身として汗顔の至りであったが、さらに追求し漸くその原点に辿り着いた。
     第一次大戦中、空冷星型はエンジン自体が回転する所謂ロータリー式であったが、大出力の水冷式に対抗するため1917年、 回転式から脱却した空冷固定式星型のABC「ドラゴンフライ」が初めて登場した。 その前年の1916年にイギリス空軍工場(RAF)では意欲的な2重星型18シリンダー300馬力スーパーチャージャー付きエンジンの開発に着手していた。 しかし、やがて戦争も先が見え、その開発はシドレー・デージー自動車会社に委託されてしまった。 同社の方針でスーパーチャージャーはコストが高いという事になり、外すことに決められてしまったが、 その増速駆動部分を外しインペラーだけはそのまま残し、クランク軸に固定してしまった(つまりクランク軸と同速となる)。 恐らくスーパーチャージャー全部を廃止し、ケーシング部を再設計するより手っ取り早かったに違いない。 これが意外にも混合気配分に極めて適切である事が判ったのである。 1921年のことで、このエンジンは1923年アームストロング・シドレー「ジャガー」として誕生した。 同社は引き続き同装置を付けた「モングース」を1926年に開発、以後同社の無過給エンジンはこの装置を標準とした。 「モングース」の事例を引用して富塚教授はこれをミクシング・ファンと称したがアメリカでもプラットエンドホイットニー社が1926年「ワスプ」エンジンに装着、 更に「ホワールウインド」も1929年にジュピター式を廃止、これを装着していた。
     「神風」のタイプテスト合格は1928年であるので、その試作完成は遅くとも1927年、 設計着手はそれ以前であるからミクシング・ファンの情報把握とその解析が極めて早く且つ適切であった事に驚かされる。 つまりブリストル方式かアームストロング・シドレー方式かの選択は当然俎上に上ったであろうが「ホワールウインド」がジュピター式を採用した1927年にはミクシング・ファンを装着した「神風」は運転台で回っていたのである。 ガス電の技師長星子勇の科学的な選択と、その采配によるものであった。 1930年、海軍は3式初歩練習機を制式化したが、その1号には三菱でライセンス生産された「モングース」が、2号には何と「神風」が搭載され、 以後の生産は2号であった2)
     ミクシング・ファンはその後、若干の過給効果を付与するようになり、また航空エンジンは高空性能を確保するため、 スーパーチャージャーが必須となり、クランク軸と同速のミクシング・ファンはやがて消滅した。 しかし、それは一世を画した革新技術であった。技術は常に脱皮し革新技術も必ず置いていかれるものである。 「神風」もその後期の5型でスーパーチャージャーに取って代わられた。
     91式戦闘機復元チーム(NPO航空復元懇話会)からの一言で「ジュピター」をあらためて検証する機会を得、 また当時ライセンスを排し独自開発を志向したガス電の「神風」との対比から同エンジンのユニークなミクシング・ファンを認識、 その源流を辿った結果、意外な発明の原点と、その迅速な情報収集と適用とが判った。
     今日、欧米の先進技術に追いつこうという技術は過去となったかも知れないが、技術のトレンドとユーザーの価値観の変化を敏感にキャッチし、 ユーザーのニーズを先取りする先進、独創的な製品を作り上げるためには情報の収集解析、咀嚼の重要性は更なる重みを増している。 技術発展はその範囲の拡大と学際化の広がりのスピードを急速に拡大し、またグローバル化の情報量の増加も際限が無い。 先人の足跡をあらためて服膺し、限られた時間の中でもその範囲を広げ、収集技術を工夫し且つ取捨選択を行い、 新たなる革新技術への挑戦がもの作り屋に課せられた使命と思うのである。

    文献
    1):中川良一、水谷総太郎、中島飛行機エンジン史、酣燈社、1985
    2):野沢正解説、日本航空機辞典、モデルアート社、1989
    3):富塚清、航空原動機、工業図書、1936


    図1 Japanese Army Type 91 Fighter
    模型製作提供:佐竹政夫、撮影、画像処理:嵯峨弘(中島91式戦闘機、現状報告その2、学術調査プロジェクト、日本大学/入間航空会、2006)
    この飛行機の復元作業は「NPO航空復元懇話会」のグループの献身的な努力と多くの協力者によって様々な困難を乗り越え着々と進行中である。


    図2 Loading of “Jupiter” for type 91 Fighter at the yard of Skysport Engineering (Courtesy of Skysport Engineering)
    スカイスポーツエンジニアリング社の庭。森の向うには野原が広がりレストアされた飛行機が舞い上がる。傍らにあるのはブリストル405ドロップヘッドクーペ(1,959年頃)、 トラックの中はブリストルF2b戦闘機、ロールスロイス190馬力(1917年)。
     過去の技術製品には先人の哲学がいっぱい盛り込まれている。適切な国家的博物館も無く貴重な先人の哲学と共にその多くがスクラップにされる日本の将来が心配である。


    図3 Back View of Bristol Jupiter with its three carburetors fitted in a common casing (Upper)Spiral manifold(Lower)(Courtesy of Science Museum, London)
    3連キャブレターの上に横に伸びたパイプは吸気暖気用の排気管である。


    図4 Sectional Drawing of “Shimpu Type 1 of 1928”
    (酒井重蔵、新航空発動機教程、有象堂出版部、1942)
    星型エンジンの上部シリンダーは省略してある。右下のキャブレターからの混合気はクランク軸に取り付けられたインペラー(ミクシング・ファン)により攪拌されシリンダー毎の吸気管を通りシリンダーヘッド部の吸気弁から吸入される。 全体構造はガス電独自の設計であるが、ミクシング・ファンの形状は「モングース」のそれと良く似ており、情報の根源である事が判る。

         


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    日本機械学会
    技術と社会部門ニュースレターNo.17
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