TED Plaza |
光の回折限界を超える超解像の流動可視化計測 −マイクロ流体工学からナノ流体工学への展開− |
嘉副 裕 東京大学 助教 大学院工学系研究科 応用化学専攻 kazoe@icl.t.u-tokyo.ac.jp |
1. はじめに
近年、従来の大型システムの機能を集積化して超小型化するマイクロ熱流体システムが急速に発展している。これまでに分析化学の分野では超微小量・超高速の分析を可能とするマイクロ化学システム(Lab-on-a-Chip、μTAS)が一部で実用化され、熱工学分野では高効率な熱輸送を行うマイクロヒートパイプが開発されてきた[1, 2]。 こういったマイクロ熱流体システムの基盤として、幅が1 mm以下の微小流れに関する研究が盛んに行われている。流体力学的にはレイノルズ数が1以下の層流であり理解するのも容易であると思われがちであるが、微小空間では比界面積(表面積/体積)の上昇により表面の影響が支配的となり、表面近傍数100 nm以下の界面化学特有の現象が顕著になる。更に、近年の溶液化学の研究から、1000 nm以下のナノ空間では溶液構造が変化して高粘度・低誘電率・反応速度上昇といった特異な物性が発現することが判ってきた[3]。このような数10〜数100 nmの化学の事象を流体力学的に理解することで、全く新しい熱流体システムが創成されると期待される。 微小空間の輸送現象を計測するために、これまでにマイクロ粒子画像流速計(μPIV)やレーザ誘起蛍光(LIF)法といった手法が確立されてきた[4, 5]。これによりマイクロ流路の流れや熱物質輸送を把握することが可能になったが、光の回折限界により数100 nmの分解能は困難である。 一方で著者らは、光の回折限界を超える超解像の流動計測法を開発してきた。本稿では、マイクロ・ナノ流路における10 nmオーダの分解能を有する光学流動計測法を紹介する。
2. エバネッセント波を用いたマイクロ流路壁面近傍の流動計測 マイクロ空間では表面の影響が増大し、流路の壁面から数100 nm以下の領域では電気的、分子的相互作用の顕著に影響があらわれる。例えば、壁面の“すべり”は界面における溶液と疎水性表面の分子的相互作用によると考えられており、マイクロ、ナノの微小空間で飛躍的に上昇する圧力損失を低減できる可能性がある。このように、表面の効果はマイクロ空間における熱物質の輸送に大きく影響するため、表面物性の分布の把握やそれに伴う表面近傍の流れの計測が必要不可欠である。 そこで近年、光の全反射に伴うエバネッセント波を用いた計測法が報告されている。エバネッセント波は、屈折率の異なる界面で光を全反射させた際に、屈折率の低い媒質側に入射光の一部が染み出したものであり、界面から指数関数的な強度分布を有している(Fig. 1)。エバネッセント波の染込み深さzpは次式で与えられる。 (1) ここで、λは光の波長、n は屈折率(n1 > n2)、θi は入射角である。例えば、石英ガラス(n1 = 1.46)と水(n2 = 1.33)との界面でλ = 532 nmのレーザを全反射させるとzp = 93 nm(θi = 75°)となる。エバネッセント波を用いることで光の波長より短い領域のみを照射することができるため、壁面極近傍の計測が可能となる。これまでに、エバネッセント波を用いたナノ粒子画像流速計(nPIV)が提案され、壁面近傍100 nmにおける速度計測が達成されている[6]。 Fig. 1 Schematic of measurements of near-wall flows in microchannel using evanescent wave illumination.
その中で著者らは、蛍光色素とエバネッセント波を用いたナノ・レーザ誘起蛍光(NanoLIF)法の開発を行ってきた[7-10]。本手法は、光の回折限界以下の照明によって壁近傍のみのイオンを検出することで、壁面の帯電量の時空間分布計測を可能としている。壁面の帯電量はゼータ電位と呼ばれており、後述するマイクロ空間の電界による流れや表面近傍数100 nmの電気的相互作用の発生要因となるが、従来法でその空間分布を正確に把握することは困難であった。 ここでは、2色蛍光を用いた壁面のゼータ電位分布計測を紹介する[11]。これは、著者が慶應義塾大学の博士課程在籍時に佐藤洋平教授のもとで行った研究である。計測には蛍光波長の異なる2種の蛍光色素を選定し、溶液中でそれぞれ陽イオン(赤色発光)及び陰イオン(緑色発光)となるものを用いた。Fig. 1のように、壁面近傍のイオン分布は表面帯電の影響を受けて変化する。例えば、表面の帯電が負のとき、陽イオンが引力を、陰イオンが斥力を受けるため、結果として壁面近傍では赤色発光の蛍光イオンの割合が大きくなる。このとき壁面近傍数100 nmのみをエバネッセント波で照射すると、その蛍光の色(赤/緑)からゼータ電位を計測することができる。 本手法を用いてマイクロ流路壁面の表面パターニングの評価を行った。マイクロ流路の石英ガラス壁面に自己組織単分子膜の一種であるオクタデシルトリクロロシラン(OTS)を100 μmのタイル状に修飾し、蛍光色素溶液を送液してゼータ電位計測を行った。Fig. 2に、エバネッセント波の照射によって得られた3CCDカメラによる蛍光画像、および較正曲線を用いて得られたゼータ電位分布を示す。Fig. 2(c)に示すように、マイクロ流路内の表面修飾パターンをゼータ電位分布として定量可視化することに成功した。OTSをガラス壁面に修飾すると、表面の化学基が-SiO-から-CH3に置換されるため、壁面の負極帯電が抑制される。実験結果からも、ガラス部分は蛍光が赤色となりゼータ電位も-100 mV程度であるのに対し、OTS修飾部分は緑色となりゼータ電位が-60 mV程度となっていることが判る。このような表面パターニングは試料の吸着抑制や流動制御のためにマイクロ流体工学では広く用いられており、これをゼータ電位分布として定量可能になったことは非常に意義深い。 Fig. 2 (a) Schematic of surface modification pattern of OTS on a fused-silica wall in a microchannel. (b) A two-color fluorescence image of the surface modification with the evanescent wave illumination. (c) The zeta-potential distribution at the wall obtained from the fluorescence image using a calibration curve.
マイクロ流路に電界を印加すると、流路壁面ゼータ電位に依存した界面動電駆動流と呼ばれる流れが発生する。これは壁面の帯電によって形成された厚さ1-100 nmの電気二重層のイオンに起因しており(Fig. 1)、電界によるイオン挙動の抗力によって流れが発生する。界面動電駆動流は微小空間の流体駆動力として広く用いられており、壁面のゼータ電位分布による流動制御も試みられている。 そこで、エバネッセント波を用いたnPIVを用いて、先ほどの表面パターニングを施したマイクロ流路で壁面近傍流れの計測を行った[11]。マイクロ流路内に500 nmの蛍光ナノ粒子をトレーサとして混入し、74 V/cmの電界を印加した際の流速分布計測を行った。Fig. 3に示すように、界面化学の理論上符号は逆になっているものの、NanoLIF法によって得られたゼータ電位分布による壁面近傍速度分布が発生していることが判った。一方で、著者らはエバネッセント波および体積照射による光学系を組み合わせ、高速度粒子追跡法を用いることで界面動電駆動流の過渡応答の計測を行った[12, 13]。これにより、壁面近傍で流れが発生して運動量が輸送され、数ms程度で流動場が形成される様子を詳細に解明した。これらの知見は、マイクロ空間の精緻な時空間流動制御の実現に大きく貢献すると期待される。Fig. 3 Comparison of the zeta potential distribution of the surface modification pattern obtained by NanoLIF to velocity profile obtained by nPIV.
以上のように、エバネッセント波を用いた計測法により壁面近傍の流動計測が達成されたものの、壁面近傍数100 nmの領域で更に空間分解能計測を行うことは困難であった。そこで、ジョージア工科大学のMinami Yoda教授らのグループは、エバネッセント波の指数関数的減衰に着目した計測法を開発した[14]。本研究には著者も博士研究員として参加しており、ここではその一部を紹介する。 エバネッセント波によって励起されたナノ粒子からの蛍光は、エバネッセント波と同様の指数関数的な強度分布を有しているため、蛍光強度I を用いて粒子の深さ方向位置zを得ることができる。 (2) ここで、a は粒子の半径、h は壁面と粒子表面との距離、I0 はh = 0における蛍光強度である。音響光学素子を用いてパルス状にしたレーザを流路の壁面と溶液の界面で全反射させ、エバネッセント波を発生させた。励起されたナノ粒子からの蛍光を高感度EMCCDカメラで撮像した。ここでは1.5 ms程度の時間分解能を実現しており、粒子のブラウン運動による移動を粒子径以下に抑制することで10-20 nmの不確かさでの粒子の位置検出を達成した。これにより、マイクロ流路の壁面近傍数100 nmにおいて、10 nmオーダの分解能で流速分布、粒子の濃度分布および拡散係数の同時計測が可能となった。 Fig. 4にマイクロ流路における圧力駆動流の計測結果を示す。Fig. 4(a)は、Liら[15]によって得られた壁面近傍の圧力駆動流の速度分布であり、ポアズイユ流の理論値と良好な一致を示した。一方、Fig. 4(b)および(c)は著者ら[16, 17]によって得られた壁面近傍の粒子の分布、および拡散係数である。ナノ粒子は壁面近傍300 nmで非一様に分布しており、表面近傍の電気的・分子的相互作用が支配的に働くことが判った。また、壁面近傍では粒子の拡散係数が流体的な作用によって急激に減少しており、古典的なコロイド化学によって予測された理論と良好な一致を示した。更に、電界を印加した際の計測からマクスウェル応力によって粒子の特異的な挙動が誘起されることが明らかになった[16]。以上のように、本手法はマイクロ流路の壁面近傍における現象の理解に大きく貢献すると期待される。Fig. 4 Results of measurements of near-wall flows in microchannels. (a) Near-wall profiles of pressure-driven flow in a microchannel of 33 μm depth at different shear rates, measured by using 100 nm tracer particles. Profiles of (b) number density and (c) diffusion coefficients of 220 nm particles near the wall within 350 nm, in a microchannel of 38 μm depth.
3.超解像顕微鏡法を用いたナノ流路内のイオン分布計測 近年の微細加工技術の更なる発展により、数10〜数100 nmのスケールの流路を正確に加工する技術が確立されてきた。流体のクヌーセン数(Kn)を考えるとこの領域は単一分子群から連続体への遷移領域であり、極限の流体システムと位置付けられる。著者が所属している東京大学北森武彦教授のグループは、この領域を“拡張ナノ空間”と定義しており、基礎から応用に渡る広い範囲で研究を行っている。化学的にはaL〜fLの超微小体積を用いた数十分子程度の極限分析が可能であり、また生体の細胞空間と同程度のスケールであることから生物物理分野への貢献も期待される。これまでの溶液化学の研究から、数100 nmの空間に溶液を閉じ込めると、表面の効果によって高粘度・低誘電率・反応速度変化といった特異な物性が発現することが判ってきた[3]。これにより、ただ小型化するだけでなく、ナノ空間の特異的物性を用いた全く新しい熱流体システムが実現する可能性がある。そのような中で著者は、数100 nm空間の流動を解明してナノ流体工学を確立すべく研究を行っている。 前節までで、表面近傍数100 nmの空間では電気的・分子的な相互作用が支配的になることを述べたが、ナノ流路では空間全体が界面化学の現象に支配される。特に、壁面の帯電による電気二重層が空間全体を占めることで空間が電気的な偏りを有しており、物質や流体の挙動に大きく影響する。ナノ空間の流動に関する研究はこれまでも行われてきたが、流路サイズが光の回折限界より小さいため理論的アプローチが主であった。 そこで著者らは、光の回折限界を超える超解像顕微鏡法を用いた計測法を開発し、ナノ流路内のイオン濃度分布計測を行った[18]。Fig. 5に計測法の概要を示す。通常の走査型蛍光顕微鏡法では、空間分解能は励起光の照射スポットのサイズによって決定されるため、光の回折を考慮すると400 nm程度が限界となりナノ空間に適用することは困難である。本研究ではこの問題を解決するために、近年Hellらによって確立されてきた超解像顕微鏡の一種であるSTED(Stimulated emission depletion)顕微鏡法[19]を用いた。STED顕微鏡法では、蛍光励起に用いるガウシアンレーザに加えて、位相フィルタによりドーナツ状の強度分布を有するSTEDレーザ(蛍光の吸収スペクトルより長い光波長を有する)を用いる。通常の蛍光分子の励起過程では、分子が励起状態となり蛍光を発することで基底状態に戻る。それに対して、STEDレーザが照射された部位では、誘導放出によって分子が励起状態から基底状態に強制的に遷移し、蛍光が抑制される。よって蛍光を発するのはSTEDレーザが照射されないドーナツ状強度分布の中心のみに限定され、これにより光の回折限界を超える分解能が得られる。深さ方向の分解能は原理的に改善されないが、幅方向では70 nm程度の分解能が達成される。 Fig. 5 Schematic of STED microscopy.
400 nmの石英ガラス製のナノ流路(幅410 nm、深さ405 nm)におけるプロトンの濃度分布計測を行った。計測にはpH感応性の蛍光分子であるフルオレセインを用いた。ナノ空間では蛍光分子も非一様に分布するため、蛍光分子の濃度による誤差を抑制するために2色の励起光による蛍光強度の比を用いた計測を行った。Fig. 6にナノ流路におけるpH(= -log[H+])の分布を示す。僅か400 nmのナノ空間におけるプロトンの濃度分布、即ち電気二重層を捉えることに初めて成功した。バルクに比べると、ナノ空間ではプロトン濃度が大きくなり非一様に分布していることが判る。電気二重層に関する研究は20世紀のはじめから行われているものの、これを実験で直接的に捉えた前例はほとんどなく、非常に意義深い知見が得られた。今後はこれに伴う流体の挙動に着目していくことで、ナノ空間の流動が解明されていくと期待される。 Fig. 6 A fluorescence image obtained by a STED microscope and profiles of pH in a 400 nm channel.
4.まとめ 本稿では、近年のマイクロ・ナノ流体の計測法として、光の回折限界を超える超解像の流動計測法を紹介した。こういった研究は、マイクロ・ナノテクノロジーが進歩した最近になって急速に発展している分野であり、まだまだ課題も多い。しかし、数10 nm〜数100 nmの領域の流体工学を確立していくことは、従来の化学と流体力学の学術境界に新しい分野を生み出すことでもあり、分析化学やエネルギー工学への応用も考えられることから非常にチャレンジングなテーマである。今後もナノメートルの領域を解明するための基盤として様々な計測のメソッドを確立していくことで、こういった新たな学術の創成に貢献できると考えている。
謝辞 本稿の内容は、著者の博士課程在籍時からこれまでの研究をまとめたものである。この間に、慶應義塾大学の佐藤洋平教授、ジョージア工科大学のMinami Yoda教授、東京大学の北森武彦教授にご指導頂いた。こういった研究を一貫して続けさせて頂いたことは、周りの方々のご協力によるところが非常に大きく、ここに深い謝意を表する。 本研究の実施にあたり、日本学術振興会の科学研究費補助金(特別研究員(No. 20-3770)、挑戦的萌芽研究(No. 23656130)、若手研究(A)(No. 24686024))の助成を受けた。
参考文献
|