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ナノスケールの空間に閉じ込められた液体の移動現象と化学反応
―ナノフルイディックス(Nanofluidics)

大宮司 啓文




東京大学 准教授
大学院新領域創成科学研究科
daiguji@k.u-tokyo.ac.jp
1. はじめに

液体はナノスケールの空間に閉じ込められるとバルクと異なる性質が現れることが知られています。この閉じ込められた液体の移動現象、あるいは閉じ込められた液体内部のイオンや分子の移動現象や化学反応を取り扱う『ナノフルイディックス(Nanofluidics)』という研究分野が注目されています。フルイディックスとはもちろん流体工学のことですが、そこで扱われている内容は吸着、選択透過、表面科学等であり、むしろ熱工学で対象としてきた研究分野に近いかもしれません。物理、化学、工学におけるナノスケールの移動現象を広く対象としています。

ナノフルイディックスの研究においては、多くの場合、液体として水や水溶液を用います。ナノスケールの閉空間における水の様々な性質を理解したり、その性質を利用して様々な工学的応用を発展させたりすることは生命にとって最も重要な水の研究としても大きな挑戦です。

2. ナノフルイディックスにおける特性長さ

ナノフルイディックスの研究において最も重要なことの一つは、特性長さを理解することと考えられます。水分子/イオン同士、あるいは水分子/イオンと壁の相互作用には3つの代表的なものがあり、それぞれの相互作用には特性長さがあります。水素結合、あるいはステリック力は12 nmの範囲で働き、ファンデルワールス力は1〜数10 nmの範囲で働きます。また、静電気力は1100 nmの範囲で働きます(図1)[1]。これらの分子間相互作用はすべてナノスケールで働くことから、ナノスケールの移動現象を解析したり、制御したりするためには、これらの相互作用を陽に考え、利用することが必要であることがわかります。言い換えると、これより大きなスケールの問題を考える場合にはこれらの相互作用を陽に考えることはもはや意味がないことになります。このようなスケールにおいては、これらの相互作用はマクロな物性値として丸められ、連続体力学を用いて現象を理解することになります。


図1 水溶液における分子間相互作用の及ぶ範囲

3. 静電気力によるイオン流の制御

例えばガラス管に電解質水溶液(たとえばKCl水溶液)を流すことを考えます。ガラス管の直径が小さくなるにつれて、いわゆる「表面力」が「体積力」にくらべて支配的になります。マイクロスケールまで小さくなると、ガラス管の両端に圧力差を与えるよりも、電場を与え、電気浸透流を利用して液体を流す方が容易になります。さらに小さくなるとどのような現象が起こるでしょうか?はじめにガラスの表面の性質を考えます。ガラスの表面は水のような極性液体と接すると、負の電荷をもつことが知られています(シラノール基-SiOHの脱プロトン反応)。固液界面に生成された表面電荷に対して、界面付近にいる電解質溶液中の対イオン(固体表面電荷と逆符号の電荷をもつイオン)は表面電荷がつくる電場によって引き付けられ、副イオン(固体表面電荷と同符号の電荷をもつイオン)は遠ざけられます。表面電荷は電気二重層と呼ばれる表面近傍の領域、すなわち壁の電気的特性を打ち消すだけ過剰に反対の電気的極性をもつ層を形成します。より詳細には、表面の極近傍のStern層と少し離れた拡散層から電気二重層は成り立ちます(図2)[1]。静電気力の特性長さとは表面電荷を打ち消すのに必要な距離のことであり、およそ電気二重層の厚みと等しくなります。この特性長さはデバイ長さと呼ばれ、によって与えられます。ただし、εは水の比誘電率、ε0は真空の誘電率、kBはボルツマン定数、Tは絶対温度、nbulkはバルクのイオン濃度、zはイオンの価数、eは電気素量です。この式より、デバイ長さは水溶液のバルクのイオン濃度の関数であることがわかります。通常のイオン濃度(10-110-5 M)の範囲においては、1価のイオンの水溶液のデバイ長さは1100 nmとなります。したがって、ナノスケールのガラス管の場合、管の直径はデバイ長さと同程度になります。このような条件においては、管の内部はすべて電気二重層の内部となり、実質的に対イオンのみが管の内部に入る可能性があります(図3上)。一方、マイクロスケールのガラス管の場合、壁近傍を除いて大部分は電気的に中性の液体となります(図3下)。


図2 負電荷をもつ表面近傍のイオンの分布


図3 ナノチャネルとマイクロチャネル内部のイオンの分布、および壁と垂直方向の電位、イオン濃度の分布

実質的に対イオンのみが管の内部に入る条件のもとで、管の両端に圧力差を与え、液体を駆動させると、対イオンのみが管を通り抜けることができるため電流・電圧が発生します。すなわち力学的エネルギーを電気エネルギーに変換する装置に応用することができます[2]。また、この条件のもとで、電解質水溶液が満たされているナノスケールのガラス管をp型、n型半導体と比較すると、半導体においては、ドーピング原子の種類により電荷のキャリアを正孔や電子にすることができるように、電解質水溶液が満たされているナノスケールのガラス管においては、表面電荷の種類により電荷のキャリアを陽イオンや陰イオンにすることができます。したがって、半導体と同様に、電界効果トランジスタと同じ原理の装置をつくり、イオン流を制御することができます(図4)[3,4]。


図4 ナノ流体電界効果トランジスタの原理、ナノチャネルの中央部分(ゲート)にゲート電圧を与えない状態(左上図)、正のゲート電圧を与えチャネルの内壁の表面電荷を0にした状態(左下図)、イオン電流とゲート表面電荷の関係(右図)

もちろん、表面電荷をもつ細孔に極性液体を流すと、電流・電圧が発生すること自体は古くから知られていることですし [5,6] 、+と−のイオン交換樹脂を張り合わせたバイポーラ膜[7]等、電解質水溶液が満たされているナノスケールの細孔が半導体と同様の動作原理を示すことは膜科学の分野ではよく知られています。しかし、寸法や表面の特性が既知のナノ細孔やナノチャネルを製作する技術が進歩したこと、観察や測定技術が進歩したこと、生体分子の分離検出等の応用技術が注目されていること等が重なり、再びナノスケールの移動現象が注目されていると考えられます。今後、さらに詳細な解析や具体的な応用を念頭においた研究が盛んになると予想されます。

さらに小さい直径数nmのガラス細孔の場合はどうでしょうか?ここではメソポーラスシリカと呼ばれる直径250 nmの細孔をもつシリカ多孔質材料について考えます。メソポーラスシリカは自己集積化した界面活性剤をテンプレートとして合成されるシリカ多孔質体です[8,9]。(自己集積化を基礎とする材料合成においては、熱、物質の移動現象、および化学反応の制御が特に重要であり、ナノ構造体の応用のみならず、ナノ構造体の合成においても移動現象についての多くの研究課題があります。)その細孔は均一かつ規則的に配列しており、比表面積が高く細孔容積も大きいため、吸着剤や触媒へ応用する研究が行われてきました。近年では、細孔の構造を制御する研究も多数あります。特に1次元的に規則的かつ連続的に並んだ細孔はセンサー、分離膜、電子デバイス、光学デバイスへの応用が可能であると考えられています。

ここでは直径2 nmのメソポーラスシリカの内部にKCl水溶液を満たし、軸方向に一様な電場を与えた時のイオンの流れを、非平衡分子動力学法によって解析した研究を紹介します(図5)[10]。メソポーラスシリカはガラス材料ですが、ここでは簡単のため、α石英の結晶構造を基礎に細孔をモデル化しました。また、細孔表面を部分的に疎水化することでその影響を調べました。このスケールにおいては表面の双極子モーメントを水の双極子モーメントと異なるものにすることで疎水性の表面をモデル化することができます。(ここでは表面分子を-SiOHから-SiCH3へ換えることにより疎水性の表面をモデル化しました。)

計算の結果、図5に示されるように、疎水性の部分では、水分子が壁から少し離れて存在することがわかりました。また、この細孔は表面電荷をもっていませんが、親水性と疎水性の境界部分に静電気の障壁が存在し、イオン電流と軸方向の電場の強さの関係が非線形になることがわかりました。これらの結果はおもに以下の2つの事実に基づきます。(1) 数nmのスケールにおいては、点電荷−点電荷の相互作用のみならず、点電荷−双極子モーメントの相互作用も考慮しなければならず、表面電荷のない細孔においても、細孔表面の僅かな双極子モーメントの分布で静電気の障壁をつくることができます。(2) 細孔内部の水は細孔の壁に強く拘束されるため、バルクの水のように水素結合のネットワークをつくることができず誘電率が低下します。その結果、水の静電遮蔽効果が低下し、静電気力の及ぶ範囲が広がります。


図5 メソポーラスシリカ内部のイオン移動現象の分子シミュレーション(断面図)

4. おわりに

直径数nmの細孔内の水が水素結合のネットワークを十分につくることができないという性質は、例えば、細孔内の水の凝固点が下がることとも関係があります[11]。0°C以下でも機能する吸湿材、あるいは霜のつかない表面などが実現できる可能性があります。また、僅かな表面の違いによりイオン流が変化することは、様々な機能をもつ選択透過膜への応用可能性を示唆しています。

ナノフルイディックスの研究はナノスケールの空間に水を閉じ込めることで水のもつ新たな機能が発現するという科学的な興味に基づく研究のみならず、その機能を様々な応用に繋げていく工学的研究(例えば水の精製、生体分子の分離検出、エネルギー変換や貯蔵等)へ対象を広げています。今後、様々な分野で、ますます研究が盛んになると予想されます。

参考文献

1. J. Israelachvili, Intermolecular and Surface Force, 2nd ed.; Academic Press, London, 1992.
2. H. Daiguji, P. Yang, A. J. Szeri and A. Majumdar, Nano Lett., 2004, 4, 2315-2321.
3. H. Daiguji, P. Yang and A. Majumdar, Nano Lett., 2004, 4, 134-142.
4. R. Karnik, R. Fan, M. Yue, D. Li, P. Yang and A. Majumdar, Nano Lett., 2005, 5, 943-948.
5. R. J. Hunter, Zeta potential in Colloid Science; Academic Press, London, 1981.
6. J. F. Osterle, J. Appl. Mech., 1964, 31, 161-164.
7. B. Lovrecek, A. Despic and J. O. M. Bockris, J. Phys. Chem., 1959, 63, 750.
8. C. T. Kresge, M. E. Leonowicz, W. J. Roth, J. C. Vartuli and J. S. Beck, Nature, 1992, 359, 710-712.
9. D. Zhao, J. Feng, Q. Huo, N. Melosh, G. H. Fredrickson, B. F. Chmelka, G. D. Stucky, Science, 1998, 279, 548-552.
10. K. Shirono, N. Tatsumi and H. Daiguji, J. Phys. Chem. B, 2009, 113, 1041-1047.
11.  A. Endo, T. Yamamoto, Y. Inagi, K. Iwakabe and T. Ohmori, J. Phys. Chem. C, 2008, 112, 9034?9039.