TED Plaza
熱工学におけるバイオ研究

微小空間の凍結/細胞内の凍結

白樫 了
東京大学
生産技術研究所

1. はじめに

 生体機能を維持させたまま,単一細胞や大容量の生体組織を長期保存する需要は,遺伝子工学や生体組織工学を応用した医療行為の進展により拡大し続けている.また,魚介・肉・野菜等の生鮮食品を冷凍する際にも,基本単位である細胞を損傷の少ない状態で保存することは重要な技術である.近年,ある種の糖類を添加した細胞・組織が高い耐凍結乾燥性をもつことが注目されている.本稿では,この種の糖類が,特に致命的な損傷となる細胞内凍結を抑制する機序について,微小な閉鎖空間における凍結という観点から著者の仮説を交えて解説する.

2. 耐凍結・乾燥性糖類

 糖類のうちとりわけトレハロースは,氷点以下の低温環境や砂漠の様に完全に乾燥した地域でも生命活動を維持できるクマムシ,ネムリユスリカや酵母菌などの細胞内に多く含まれていることから注目を浴びるようになった.トレハロースをはじめとする糖類による耐凍結・乾燥効果をもつ物理化学的要因は,"water replacement effect"[1]によって生じていると考えられている.この仮説では,トレハロースが水分子より強固にタンパク質やリン脂質膜の表面に特異的に強く結合(恐らく水素結合)することで,これらの物質に結合している親和水と”入れ替わって”いると仮定している.即ち,通常は低温や乾燥状態で変化する水和構造が,水分子と分子量が大きいトレハロースが入れ替わっていることにより維持されるという理屈である.トレハロースがリン脂質膜と干渉している傍証として,トレハロースを添加した水溶液中のリン脂質膜について,そのカルボニル基の吸光波長が変化する[2],膜電位が下がる[3],膜の相変化温度が上がる[4],膜の表面張力が上がる5)等の実験事実が報告されている.以下,この様な効果が細胞内凍結に及ぼす影響について述べる.

3. 細胞内凍結

 全ての凍結は氷核の生成から始まることを考えると,細胞内で凍結する場合はどの様なことがおきているのであろうか?細胞は内部の原形質内には種々の細胞小器官(organelle)が存在し,境界は原形質膜(plasma membrane)で閉じられている.また,原形質膜はリン脂質を主成分として,種々のタンパク質が膜を貫いて存在しており,細胞外とナノサイズのチャネルでつながっているものも数多く存在する.凍結はまず細胞外からおきることを考慮すると,細胞内で凍結がおきるためには,図1に示す様な1) 原形質膜上の空孔(ナノサイズのチャネル)を通じて細胞外の氷晶が細胞内に侵入する,2) 原形質膜の細胞内側の膜表面や細胞内小器官上で不均質核生成をおこす,3) 細胞内の自由水が均質核生成をおこす,ことが必要となる."water replacement effect"説にもとづいて細胞内抑制効果を推察すると,図2に示す様に,トレハロースは,1) 細胞膜上の空孔を閉塞し,2)細胞膜や細胞内のタンパク質と干渉して,氷と細胞膜やタンパク質の界面エネルギーを上げている,可能性がある[4].

図1 細胞膜・膜タンパク質と氷核生成 図2 糖類の氷核生成に対する効果


4. 細胞外のトレハロースと細胞の凍結・解凍

 上記の様な凍結抑制効果は,トレハロースが細胞内に存在してはじめて現れると考えられる.しかしながら,実際にはトレハロースが細胞外にしか存在しない場合でも,透過光顕微鏡画像では細胞内凍結に伴う細胞内の暗転が観察されないことから,細胞外のトレハロース単独でも凍結抑制効果を発揮していると考えられる.糖類を含まない生理食塩水や培養液中では,細胞外凍結の後,冷却を続けていくと細胞内に氷晶が発生して光が乱反射するために細胞が暗転する.ところが,トレハロース水溶液に懸濁した細胞を冷却していくと,細胞外凍結が凍結した後,そのまま-90℃以下まで細胞内に変化が全く見られない場合が大半を占めるこの非凍結状態にみえる細胞を急速昇温すると,全ての細胞は昇温の途中で暗転する.この細胞の中に氷は,果たして本当に存在しないのか?また,何故,昇温過程では細胞内凍結がおきるのか?

図3 -90℃におけるトレハロース水溶液 a) 解凍前  b) 解凍中 暗転
に懸濁したJurkat細胞 図4 細胞内凍結


5. 細胞外のトレハロースの耐凍結効果


 さて,トレハロース水溶液に懸濁した細胞を液体窒素温度まで冷却し,細胞を二つに割って透過型電子顕微鏡で断面を観察したところ,細胞の中に200nm以下の小さい氷結晶が無数にみいだされた.つまり,氷は存在していたものの,その大きさは可視光の波長以下であったので,光は散乱することなく細胞内を透過していたのであろう.
 この観察結果を考慮すると,細胞外のトレハロースは,2.で述べた効果のうち,細胞の外側から細胞膜に干渉することで,膜上の空孔を閉塞することと,細胞膜の界面エネルギーをかえることは可能と思われる.つまり,細胞は比較的疎水性のつよい直径10〜20μmの球核であり,その中にはタンパク質や脂質等の細胞質が40〜50%程つまっているとみなせる.この状態から推察して,一連の現象は,マイクロスケールで閉鎖された空間の水が,均質核生成温度まで過冷却して,同温度において非常に微細な氷晶を生成し,解凍時に氷結晶が最大速度になる温度帯で再結晶をおこすことで氷晶が粗大化し,暗転したと考えられる.

6. おわりに

 光学顕微鏡で観察された映像から,”細胞外の糖類のみで細胞内凍結が抑制できるのでは?”と期待をしていたが,結局は儚い夢となってしまった.しかし,非常に微細な氷(多分,均質核生成した氷)を生成することがわかっただけでも,現象の理解という点では進歩したと自らを納得させている.なお,本稿は冷凍誌(Vol.79,No.918,(2004),275-279)に執筆した著者本人の原稿に,その後の研究結果を加えてまとめ直した解説である.

参考文献

 1. J.H. Crowe, L.M Crowe: Nature Biotechnol., 18, 145(2000).
 2. N.M. Tsvetkova, B.L. Phillips, L.M. Crowe, J.H. Crowe and S.H. Risbud: Biophys. J., 75, 2947(1998).
 3. M.del C. Luzardo, F. Amalfa, A. M. Nunez, S. Diaz, A.C. Biondi de Lopez and E.A. Disalvo: Biophys. J., 78, 2452(2000).
 4. 高橋 浩: 膜, 24, 207(1999).
 5. C. Lambruschini, A. Relini, A. Ridi, L. Cordone, A. Gliozzi, Langmuir 16, 5467(2000).