平成26年度 材料力学部門賞 受賞者の言葉
功績賞
「原子力機器を中心とした構造強度信頼性に関わる研究開発
に関する一連の功績」
林 眞琴
茨城県
この度は,平成25年度の日本機械学会材料力学部門功績賞を賜り,大変光栄に存じます.ご推薦をいただいた方々,審査委員の方々に心より厚く御礼申し上げます.本賞は大学や研究機関に所属され,学術上において顕著な功績を挙げられた方々が受賞されることが多く,企業に永らく身を置いていた技術者が受賞することが少ない中での受賞は,産業界で活躍されておられる多くの材料力学関係者の皆様の励みになるのではないかと思います.その点からも重ねてお礼を申し上げたいと存じます.
私は子供の頃からメカニックが好きで,小学校の卒業記念集にも将来はロケットか自動車エンジンの設計技術者になりたいと書きました.その積りで名古屋工業大学に進学しましたが,卒業研究で研究室を決める段になって,エンジンの大家と言われていた下山鉱一教授が定年退官されることになりました.下山研にはどうした訳か助教授がいませんでした.そのため,卒研生は採らないということになり,大変困ってしまいました.自分のやりたい分野の研究室に入れないのであればどうしようもありません.仕方なく,業績を挙げておられると評価の高い4名の助教授の中から,最も勢いのありそうな助教授を選んだ結果,林健吉助教授の研究室に入ることにしました.このことで私の研究者としての道が決定付けられました.林研では修士2年の中川平三郎さん(現滋賀県立大学教授)の指導のもと,アルミニウム粗大結晶粒の疲労損傷を細束X線を用いて観察するというテーマに取組みました.林先生は当時養賢堂から出版する予定の「X線材料強度学」の最終編集作業で研究室にはほとんど居られず,卒研生は専ら修士の学生に指導して貰うという状況でした.中川さんの熱心な指導のお蔭もあり,研究していると材料強度学に対して段々関心が高まって行きました.そうした最中,暮れも押し詰まった12月30日に林先生が不慮の事故で亡くなられてしまいました.子供さんと一緒に手作りの凧を挙げていたとき,凧が電線にひっかかってしまいました.不幸なことにひっかかったところが電柱から近かったために,林先生は運動神経の良さを発揮して電柱に登られたのですが,感電して落下され,内臓破裂で亡くなられました.凧が手が届きそうもない電柱から離れたところにひっかかってくれていれば,このような不幸は生じず,林先生は材料強度学の分野で大変素晴らしい業績を挙げられたであろうと,今でも大変残念に,また,悔しく思っています.このことが強く影響して,大阪大学大学院基礎工学研究科に入ってからもX線を利用して疲労破壊の微視的機構を探る研究を続けることになりました.
阪大では,卒研の延長で純アルミニウム単結晶を用いて細束X線回折法により下部組織の発達と微視き裂発生との関係を調べました.結晶方位によって表面組織,内部組織ともに非常に強い影響を受けることが分かりました.厳密には答えを出せていませんが,過剰転位密度がき裂発生と強い関係にあることを明らかにできたと思っています.その後,疲労損傷形成機構に及ぼす各種因子の影響を調べました.最終的には緒論と結論を含めて13章建ての博士論文を纏めることができました.
博士課程終了後は大学で研究生活を続けようと考えていましたが,ご多聞に洩れず,なかなか就職先が見つかりませんでした.博士論文を纏めていた11月に,京都大学の平修二先生,田中啓介先生から日立製作所日立研究所でX線の分かる材料強度屋を探しているが,行かないかと声を掛けていただきました.私の実家は田舎の貧乏商売人ですので,就職浪人をしている訳にも行きませんし,また,日立研究所第3部には材料強度分野の素晴らしい専門家が揃っていることを知っていましたので,ありがたくお受けすることにしました.平先生のご推薦で日立研究所と本社での面接もすんなりと済み,暮れの27日には無事採用していただけることになりました.
日立研究所に入ってからは実にさまざまな研究を行いました.入社した5カ月後には所属が機械研究所に部ごと異動になりましたが,研究場所や内容に変更はありませんでした.一番初めに,火力発電所のタービン発電機の界磁コイルの予防保全技術の開発を2年間行い,疲労き裂発生防止技術を確立しました.3年目からは蒸気タービンの予防保全技術の開発を行いました.このテーマでは,20年以上運転されたタービンケーシング材の疲労寿命が初期の10%以下まで極端に低下していることを明らかにしたことが成果の1つです.一方,X線回折法で低サイクル疲労損傷を調べると,半価幅が寿命の20%を超えると変化しなくなるという事象が分かりました.これは疲労き裂が寿命の早い段階で発生して,表面を観察しているX線回折法では感度がなくなるのであろうと推定して,レプリカ法で微小き裂を追跡観察しました.その結果,疲労寿命の10%程度で微視き裂が発生していることを明らかにしました.この研究はその後,桜井茂雄さんに引継がれ,日立製作所では「エンブリオ理論」と名付けて大々的に電力会社に売り込み,使っていただいています.
5年目からは原子力機器の信頼性向上の研究に移りました.圧力容器,格納容器,熱交換器,再循環ポンプ,海水循環プンプ,復水器,配管系など原子力の主要な機器・配管の信頼性に関わる研究に携わりました.その過程で,電気ポテンシャル法による貫通および表面き裂形状の計測技術,中性子回折による構造物内部の残留応力測定技術,腐食疲労の損傷機構解明に基づく損傷検出システムの開発と破損防止技術,高サイクル熱疲労き裂の発生・進展・停留挙動の解明,ならびに,原子力機器の構造健全性評価技術の確立など,構造強度信頼性に関わる技術開発において多くの成果を挙げることができたと自負しています.
日立製作所においては,1/3が業務としての研究開発,1/3が恥ずかしながら製品の事故対策で,残りの1/3を自分の勝手な研究に割くことができました.日立製作所の良いところはやるべきことをやれば,後は自由に研究させてくれるということです.製品の事故対策から新しい研究テーマを発掘することができましたし,遊びの研究から多くの論文を執筆することができました.研究者にとって一番大切なことは,自由に発想できる時間と研究費の確保です.事故対策や設計トラブルで工場を援けることで研究費を支援して貰いました.また,本社の研究開発本部からも新しい実験装置の開発に資金を出して貰いました.私たちは市販の装置をそのまま購入することはありません.実験目的に合せて何かしらの特別仕様で購入しています.また,市販の装置では実機の現象を再現できることは少なく,自分で特別に設計して世界に1台しかないという実験装置を何台も製作しました.その典型が回転同期型高サイクル熱疲労試験装置です.この装置は何度も作り直し,5年掛けてようやくのことに数Hzで熱疲労き裂を発生させることができました.世の中にない装置で成果を挙げると,当然のことながら,次の課題が見えてきます.そうするとまた新しい装置を本社に提案します.林にやらせれば何か成果を挙げるということで,装置開発に相当な資金を得ることができました.
私から若い研究者,技術者の皆様へのお願いがあります.私のような実験屋であれ,計算科学屋であれ,計測技術屋であれ,皆さんには常に世界最先端の研究開発を目指していただきたいということです.研究するためには資金が必要です.そのためには科研費であれ,企業の研究開発費であれ,画期的なテーマを次々と提案することです.1度や2度却下されて諦めることなく,本当に意義のある研究テーマであれば,執念を持って,予算を認めて貰えるよう繰返し改善し提案して行けば,必ず予算を獲れます.一度予算が通れば,上述したような好循環が生まれるはずです.是非,斬新で革新的な研究テーマを発掘して研究成果を挙げてください.
「材料強度学の基礎理論の構築とその実用に関する一連の功績」
横堀 壽光
東北大学
この度は,平成26年度日本機械学会材料力学部門賞(功績賞)を拝受する栄誉に接し,大変光栄に存じます.ご推薦頂いた先生,選考委員始め材料力学部門関係者の皆様に大変感謝致しております.また,この受賞は,今までご指導くださった先生方や共同で研究に携わって頂きました研究者,教職員および学生方のご協力によるものと,心より御礼申し上げております.
私が機械学会学術講演会に初めて出席致しましたのは,昭和48年の春に開催されました通常総会でした.4月から大学院に進学するということで,先輩方の研究発表を拝聴するために出席しました.
当時は,手書きできれいに書かれた掛図を用いての講演発表もあり,少しずつスライド発表が普及してきた時代でした.その後,発表形式も,OHPそしてパワーポイントと変わり,私もずいぶん長いこと研究を行ってきたということを感じております.
当時は,研究発表もそれほど多くはなく,材料力学だけでいえば,出席者はほとんどすべての講演を聴講出来る講演数であったと思います.したがって,私の講演につきましても,他大学の多くの先生方から御討論や御指導を頂き,それが,現在に至るまでの私の研究の支えになっております.
私は,学生のころより,固体における流れ学に大変興味を持っておりまして,何とか材料強度の研究にこれを取り入れたいと思っておりました.この中で,最初の研究テーマで,湧き出しを伴う,転位群の相互作用下での動力学解析とそれを用いた疲労き裂成長理論構築の研究を行いました.その結果,転位の転位原からの射出挙動や各転位の運動状態が,応力速度,時間および物性定数により表される一つのパラメーターによる相似則に従うことを見出すことが出来,流体力学との関わりも実感して大変感動的でありました.
その後,応力勾配を駆動力とする物質拡散方程式を数値解析により解く方法に取り組みまして,水素拡散を始めとしましてLSI配線におけるエレクトロおよびストレスマイグレーションの問題や,高温クリープ損傷形成に関わる空孔拡散解析問題に対しまして,いろいろ成果を出すことが出来ました.これらの研究は学生時代から興味を持っておりました,材料強度学と流れ学との接点に関わる研究として,現在に至っても,思い入れの深いものとなっております.
本来,材料強度学は構造物の安全に関わる研究であり,安全維持という点で社会貢献がなされます.とりわけ,発電機器および航空機エンジンなどの安全維持には,材料強度学は高温強度学として重要な役割を担っております.私も,熱活性化過程という物質移動論を基礎とする立場から,高温下でのき裂発生および成長挙動を基にした寿命評価の問題に取り組んできました.この研究分野は,最終的には,試験および評価法の規格化が求められますが,そのための要件であります「簡便さと正確さをもって結果を予測しうる.」という要件に対しまして,上記の理論に基づきます微視力学理論とその場観察試験も含めました高温強度試験,および構造体への応用へ結びつけるキーポイントとなります「構造脆性」なる概念の提案など,マルチスケール解析手法により解決を試みてきました.これらの結果が,ASTM規格やISOTTA文書に反映されましたことは,一緒に研究して頂きました産官学の共同研究者の方々のお蔭と深く感謝しております.
また,材料強度学の立場から,血管の拍動下での力学試験法の提案とそれに基づく,血管壁強度劣化特性に関する研究を行いまして,これらの研究を基にして,ASTMF.04.04.10のMechanical Test Method of Cardio Vascularを1987-1992まで担当させて頂き,ASTMSTP 1173”Biomaterials’ Mechanical Properties”をCo-Editorとして出版することが出来ました.これについても,材料力学を専門とする先生方のご指導により学ばせて頂いた材料強度試験法の知識が大きな原動力となっています.その後,生体組織の粘弾性を検出するという「レオロジー」の観点から研究を進めまして,血管壁疾患を診断する装置を開発し,特許,医療認可もとるにいたりました.現在は,この装置により,冠動脈疾患を予測できるということを,医学的に検証して頂き,また,動脈瘤診断への応用研究も医系の先生方で行って頂いております.
以上のように,学生時代から43年間,材料強度学の研究を行ってきましたが,その間,国内外の素晴らしい数多くの研究者と交流できましたことは,私の研究推進の支柱となり,また,大変幸せでありました.
終わりにあたり,私に材料力学に関わる研究推進と発表の場を与えて頂きました,日本機械学会材料力学部門と諸先生方に深く感謝申し上げますとともに,本部門の益々のご発展を祈念いたします.
業績賞
「半導体デバイス構造・材料の強度信頼性評価に関する先駆的研究」
三浦 英生
東北大学
この度は材料力学部門業績賞を賜りましたこと,誠に光栄に存じますとともに,重い責任を負わされたものと自覚しております.私のような,円熟した技術者でも,学術界で何か重要な足跡を残した研究者(学者)でもない人間に暖かい眼差しを向けて頂いた部門の皆様に感謝申し上げます.
私は(株)日立製作所に約20年勤務させて頂きました後,現在は東北大学大学院工学研究科附属エネルギー安全科学国際研究センターにお世話になっております.学生時代は電子工学(主として軟磁性材料の物性研究)を学び,材料研究を夢に日立製作所に入社したつもりでしたが,配属先は機械研究所(当時)で,そこから「応力とひずみ」という新しい生活が始まりました.私にとっては晴天の霹靂の配属でしたし,配属先の上司も何故私が配属されたのか全くわからない,私の学生時代の研究内容を理解してくれる人は周囲には全くいない,というところから社会人生活がスタートしました.今の時代のジョブマッチングによる就活などとは全く真逆の時代でした.
30年以上前に始めて与えられた研究テーマは,半導体実装用に開発され始めていたシリカ粉を充填した熱硬化性樹脂(エポキシ樹脂)の破壊じん性評価でした.当時は日本製の256kビットのDRAM製品が世界市場を席巻し始めていた時代で,半導体製品はそれまでの金属パッケージから樹脂封止型パッケージに急激に移行していました.その中で温度サイクル環境で封止樹脂が割れ,長期信頼性の著しい低下が大きな問題として顕在化し始めていたため,新しい複合材料の強度評価と,それに基づく高信頼構造あるいは材料設計指針の構築が喫緊の課題となっていました.「応力とひずみ」とは何ぞやという新入社員にとっては,「破壊じん性」なぞ雲の上の専門用語で,当時は始業時間の1時間前には出勤し,材料力学や材料強度学の本を独学で読みあさりながら必死に勉強しつつ実験システムの設計と開発を進めました.当時はいわゆるパソコンが実験装置の自動制御系として使用可能となりつつあり,学生時代に学んだ機械語やコンパイラの知識と技術,制御プログラムの作成などは実学として役に立ちました.ぜい性材料に疲労予き裂を導入する設備や,数cmのサイズの半導体パッケージ内のき裂進展挙動を検出するモニタシステムなども手作りで仕上げたことなどが思い出されます.その後日立建機(株)の研究所の方々と共同研究として超音波顕微鏡を応用した樹脂と金属フレーム界面はく離の非破壊検査技術を開発し,樹脂封止型半導体パッケージ内の亀裂進展挙動予測評価技術をまとめて2年間の研修発表となるはずでした.
しかしそれでは個人的にあまり面白くなかったため,当時の上司の極めて寛大なご理解と関連工場の絶大なるご支援で,チップ表面に配列した二次元ひずみセンサアレイで,チップに作用している三次元のひずみ場(垂直ひずみ3成分とせん断ひずみ3成分)を分離検出するセンサ開発を同時に進めることをお認め頂きました.電子伝導型と正孔伝導型のひずみゲージを組み合わせて実現可能となるものでした.このセンサが先ほど紹介しました256kビットDRAMの製造に使用されていた技術を応用することで製造可能になったという幸運(時の運)にも恵まれ,研究所から数100km離れた工場の研修室に数ヶ月泊まり込みながらセンサの設計開発に取組みました.このセンサの動作確認を世界で始めて実現したのが研修発表会の約1ヶ月前で,急遽本テーマを研修発表テーマに変更することを研究室長に認めて頂き,何とか2年間の研修員生活を乗り切ることができました.この間には,興味がなかなか持てない研究テーマ,なじめない社会人生活の継続を悲観し,会社を辞める相談を学生時代の指導教員とすることなどもありましたが,結果としては諭され,20年居座ることになりました.また,このひずみセンサ開発研究が機械学会の活動から将来の学位取得に結びつき,ひいては大学に教員として異動するきっかけになることなどは,当時は夢想だにしておりませんでした.
その後は,各種ひずみ測定技術や薄膜強度物性測定技術,薄膜積層プロセスにおける応力誘起化学反応変化を考慮した連成解析技術,分子動力学を応用した原子配列構造と各種物性の相関関係解析技術の開発など,材料と構造をつなぐ設計・評価技術開発を,先輩,同僚,後輩の絶大なる協力の元進めることができました.新製品の開発過程において次々と発生する新しい問題(想定外の不良)に直面し,それを解決する為の世界初の技術開発と解決策の提案を自転車操業で次から次へと渡り歩いた,というのが正直な実態であり感想です.今にして思えば,電子工学と機械工学,材料工学を結ぶ学際研究に従事できていたと言えると思います.一早い課題の発見と同時に,ナノテクノロジー技術の発展により様々な実験,解析技術あるいは多様な分野の国内外の大学の先生方に触れる機会を得,多くのチャンスやご指導を得たのは,まさに幸運の連続だったと言えますし,そのチャンスを生かす機会を与えて頂いた皆様には感謝の言葉以外に何もありません.
大学に異動する機会を与えて頂いてからは,「破壊予知と破壊制御」をミッションとして研究と学生指導に勤しませて頂いております.材料の本質解明研究を意識し,原子配列の秩序性と材料強度物性の相関性解明と,高信頼高機能材料システムの開発を目指しております.今後はこれまでお世話になりました皆様への恩返しとして「材料強度科学」という新たな学術・工学基盤を構築できれば,と考えております.
本稿では,お世話になりました皆様のお名前は,ご恩返しはまだ緒についたばかりですので,あえて伏した形にさせて頂きました.若い世代の皆様が今の時代に活用できる様々な知識や技術に関心を持ち,それらを統融合した新たな学術・技術分野の開拓に挑戦するきっかけ創りに少しでもお役に立てるよう,今後とも部門の発展に微力をつくしたいと存じます.
「電子機器の強度信頼性設計技術に関する先駆的研究」
北野 誠
(株)日立製作所
この度は,平成26年度の日本機械学会材料力学部門業績賞を賜り,身に余る光栄に存じます.ご推薦をいただきました白鳥正樹先生および審査員の方々に心より御礼申し上げます.ニュースレターに「受賞者の言葉」を書くよう要請いただきましたので,経歴などを述べさせていただきます.
私は1980年に早稲田大学理工学部機械工学科の修士課程を修了しました.私の恩師である山根雅巳先生は,材料力学がご専門でしたが,研究の範囲は至って広く,スピーカ,水中呼吸装置,自動演奏ピアノなどの開発を卒論,修論のテーマとして学生に与えていました.私の修論のテーマは,水中呼吸装置のキーデバイスであるガルバニ式酸素センサの研究でした.これは一種の燃料電池で,電気化学や物質の固体内拡散解析によりメカニズムを解明してセンサを仕上げるのが目的でした.旋盤を使ってセンサや実験装置の製作も自分で行いました.従って,材料力学の専門的な勉強はあまりしないで卒業しました.
1980年4月に(株)日立製作所に入社し,機械研究所第三部に配属になり,強度信頼性の研究を担当することになりました.配属になった研究部には,著名な材料力学の研究者が大勢おられました.今回の受賞の機会に,材料力学部門の功績賞,業績賞を受賞された方を数えてみますと,9名もおられることがわかりました(大内田久氏,志田茂氏,河合末男氏,鯉渕興二氏,宇佐美三郎氏,清水翼氏,服部敏雄氏,林眞琴氏,桜井茂雄氏).前述のように強度信頼性の技術に乏しかった私は,これらの先輩方にしごかれて企業での研究をスタートしました.
当時の日本は,電子立国を目指しており,機械研究所でも幹部の戦略により重厚長大製品から軽薄短小製品,すなわち電力産業機械からコンピュータ,情報機器,半導体製品へのシフトが進められており,新人の多くがこの分野の研究を担当することになりました.私は,強度信頼性の研究の対象として,半導体製品を担当することになりました.
最初に行ったのは,はんだの熱疲労に関する研究でした.半導体は線膨張係数の小さいシリコン素子を銅などの線膨張係数が大きい金属にはんだで接続する構造となっており,素子の発熱の繰返しによりはんだが熱疲労破壊することが顕在化してきました.はんだのねじり試験片を製作して疲労強度を調べるとともに,はんだに発生するひずみを弾塑性解析で求める手法を開発しました.その結果,入社3年目で私の究成果が専門誌(日経エレクトロニクス)に紹介されました.世界最先端の研究グループで研究生活がスタートできたことは非常な幸運であったと思います.
1985年頃になると,半導体の中でもDRAMが巨大な事業に成長し,信頼性の高いDRAMのパッケージ開発が重要な課題となりました.私は数人の材料強度の研究者とともにこの開発に当たりました.当時のパッケージはプリント基板に開けられた穴にリードを差し込むピン挿入型でしたが,実装密度向上のため,パッケージごとリフロー加熱してリードを基板にはんだ付けする表面実装型に移行しつつありました.このときパッケージが大気中の水分を吸湿していると,内部で水蒸気になり,その圧力でパッケージの封止樹脂が破壊するという,全く新しい問題が生じました.この問題はリフロークラックと呼ばれ,世界中で研究が行われました.私はパッケージ樹脂中の水分の拡散に着目してパッケージ内部に発生する蒸気圧と樹脂の応力を解析する手法を開発しました.奇しくも大学で研究した物質の固体内拡散解析が役に立ちました.この研究により,日本機械学会賞論文賞を受賞することができました.さらにこれらの研究をまとめ,恩師の山根雅巳先生や林郁彦先生のご指導で学位を取得いたしました.
当時を振り返ると,研究室のメンバーはそれぞれ独創的な技術開発を行っていました.半導体の特徴である多層構造体の応力解析,半導体パッケージ設計への破壊力学の導入,特異場理論による樹脂の接着強度評価などです.今回同時に業績賞を受賞された三浦英生先生は,応力測定素子を開発しパッケージ内部の応力計測に取り組んでいました.私との共著の論文も投稿されました.このような独創的な研究が行えた理由は,半導体製品が好調で,技術が事業に直結しており,事業部が社外発表を奨励してくれるなど,恵まれた環境であったことが挙げられますが,研究者同士の切磋琢磨も大きな要因であったと思います.皆で課題に対し盛んに議論したことを思い出します.
その後も電子機器を中心に多くの製品の開発に携わってきました.製品開発における独創性は3つに分けられると思います.一つ目は製品そのものが世界初であり,新しい価値を提供するもの,二つ目は,課題の解決方法,構造が他に無く,しかも効果的な場合で,有効な特許に結びつくもの,三つ目は新しい課題に対する解決手法を最初に提案することです.結果的な成功,失敗はありますが,私は今までの研究生活でこのいずれも数多く経験させていただいきました.
最後になりましたが,私の研究を指導していただいた大学の先生方,会社の先輩,一緒に頑張ってきた同僚と後輩,そして日本機械学会を舞台に切磋琢磨してきたライバル会社の方々に深く感謝いたします.
貢献賞
「材料強度学分野の国際学術交流の推進における多大な貢献」
岸本 喜久雄
東京工業大学
材料力学部門貢献賞をいただくことになり,身に余る光栄であり,大変嬉しく思います.今回の受賞に関しまして,ご推薦を頂きました方々,材料力学部門の皆様方をはじめ関係各位の皆様に厚く御礼申し上げます.
写真は私が初めて国際シンポジウムに参加したときのものです.この国際シンポジウムはIUTAM(International Union of Theoretical and Applied Mechanics),CISM (International Centre for Mechanical Science, Italy)とPAS(Polish Academy of Science)の共催で1981年3月23日~27日にかけてポーランドの北西部にあるTucznoという町で開催されました.会場はTuczno Castleという所で昔のお城を会議場兼ホテルにしたものでした.参加者全員がここに宿泊しました.食事時間は,参加者がテーブルを囲んで和気藹々と家族的な雰囲気で過ごしました.
当時は,破壊力学の分野において弾塑性問題や動的問題が盛んに議論されるようになってきた背景から「き裂の発生と進展」がテーマとして掲げられました.欧米からはJ.P. Achenbach先生,L.B. Freund先生,M.F. Kanninen先生やJ.R.Rice先生をはじめとする錚々たるメンバーが参加する予定でした.ところが,当時のポーランドは,レフ・ヴァウェンサ議長(当時はワレサという表記が用いられていました)らを創設メンバーとする独立自主管理労働組合「連帯」が民主化運動を展開し,それに対してソビエト軍(ロシア軍ではありません)の進駐が懸念されるなど,国際的な緊張状態下にありました.そのため,ソビエトからは全員が,アメリカからも多くの研究者が欠席してしまいました.日本からも参加の取り消しがあり,参加したのは本間寛臣先生と私の2名でした.全体で30名程度の参加者数でした.この会議の様子は本間先生が日本機械学会誌(昭和57年7月号)に報告されています.
参加者は大勢でありませんでしたが,シンポジウムの内容は一人当たりのセッション時間が1時間と密度の高いものでした.私は2日の朝に径路独立積分についての講演をしました.討論のところであまり上手に答えらえられずにいたのを,司会のA.S.Kobayashi 先生が助力して下さり,なんとか切り抜けることができたのを記憶しています.最終日の午後には2時間の総合討論が行われました.K.B.Broberg 先生の提案でJ積分の有効性について議論が進み,私も径路積分について話をするように促されました.写真は確かそのときのものであると思います.会議の雰囲気にも多少慣れてきて,考えていることは伝えられたのではないかと甘めの自己評価をして,海外の研究者に対して存在感を示すことができたと満足感を覚えたように思います.この会議を通じて,W.G.Knauss先生,J.Kalthoff先生をはじめとする先生方と親しくすることができ,その後の国際学術交流を進める上での貴重な糧となりました.また,当時のポーランドは非常に厳しい食料情況にあり,実行委員長のSokolowski先生が食料を確保するために近郊の村々を奔走されるなど主催者側の努力は大変だったようです.ホーランドの皆さんからは,日本のことを賞賛してくださるなど,国際的に難しい時期に参加した私たちを非常に歓迎してくださいました.なお,このシンポジウムの直後にカンヌに移動し,第5回破壊に関する国際会議(ICF5)に参加しました.カンヌの陽はまぶしく,きらびやかな印象が記憶に残った会議でした.
初めて参加した国際シンポジウムのことを少々長く述べまたが,ここに参加したとで,研究のことだけではなく文化的な側面を含めて様々なことを学ぶことができたことをお伝えたかったからです.国際学術交流を進めることで,研究分野の交流に留まらず,海外の研究者との間での多様な交流の機会を持つことができます.国際シンポジウムは,学術の進展ばかりでなく,研究者の成長にとって重要なイベントであると思います.
多くの参加者が集うAPCFS(Asian-Pacific Conference on Fracture and Strength)などの国際会議の開催は分野の発展のために大切ですので,主催者側になったときの苦労はありますが,機会がある度にお手伝いをさせていただいて参りました.一方で,あまり多くない参加者で,泊まりがけで開催するシンポジウムは,密度の高い議論が行えるばかりでなく,参加者同士が親密になれるという魅力があります.日中境界要素法セミナーや日米若手セミナーなどをはじめとして様々な国際学術交流の企画や開催について,楽しくお手伝いさせていただいて参りました.言うまでもなく,国際会議を開催するには,会議の大小を問わずに様々の仕事が発生します.会議を成功させるには,運営に携わる方々の力を合わせることが何よりも大切です.この度,国際学術交流に関して貢献をしてきたとお認めをいただけたのは,様々な形でご協力・ご支援をいただいた方々のご助力の賜であります.皆様方に改めて御礼申し上げます.
今後も,材料力学部門が,若い研究者の方々に活力を与えるような国際シンポジウムの開催を続けられ,それが材料力学分野の発展に繋がることを祈念いたします.また,機会があれば,微力ながらお手伝いさせていただきいと思います.以上をもって感謝の辞とさせていただきます.