強度倍増計画
次期部門長 白鳥 正樹(横浜国立大学)
材料力学はサイエンスではない。ものづくりのための実学である。
これまで材料力学の歴史をふりかえるとき、この点に対する確固たる認識があったからこそ、今日の材料力学の体系が築かれ得たとの思いを強くする。
Timoshenko流の材料力学の体系然り。疲労に対する膨大な資料の収集と耐疲労設計法然り。また最近の破壊力学の体系然り。これらは原子のオーダから連続体のオーダに至る広大な魔の暗黒大陸で跋跨する破壊という魑魅魍魎を材料試験というパンドラの箱に封じ込めることによって成り立っている体系である。
ところで最近の計算力学の進歩は、弾性、塑性、クリープ、粘弾塑性、大変形、座屈、接触問題、また動解析等、連続体力学の範疇でこれまで解析が困難とされていた問題がほとんど解けるまでになってきた。自動車の衝突解析が実用化段階を迎えつつあるということは、30数年前にはじめて有限要素法のコンセプトが導入された当時を知る者にとっては信じ難い程の進歩である。
したがって連続体力学の枠内で体系化されている材料力学は、計算力学の進歩によってその手法がほぼ完成されたということができよう。まさに20世紀の最後を飾るにふさわしい成果であると自画自賛することができる。
しかし我々はいつまでのこの20世紀の成果の上に安住していることはできない。21世紀に向けて、さらなる進歩に向かって扉を開かねばならない。それでは次なる進歩は何によってもたされるか。マイクロ組織の把握とその制御、微小き裂の早期発見とその対策等がキーワードとして浮かんで来よう。すなわち、我々はパンドラの箱の蓋を開けて魔の暗黒大陸に乗り出さなければならない。
昨今の材料力学講演会での発表を見るとき、すでに多くの研究者諸氏がこの分野に足を踏み入れて新たな挑戦を行っていることがわかる。たとえば分子動力学による破壊のシミュレーション等が特に若い研究者の興味を惹きつけているようである。しかし心せよ、この暗黒大陸はあまりにも奥が深く幅が広い。また複雑にして手剛い。無目的に足を踏み入れると必ずや抜け出ることの出来ない路に迷い込んでしまうであろう。
ローカルに見た場合、ひとつひとつ解決すべき課題は山積しているから、その問題を研究し論文を書くことは可能であろう。しかしグローバルに見た場合、その成果が社会におけるものづくりのためにどのように役立っているのかという視点からは、これらの論文は下手をすると何の役にも立たない死屍累累の山ということになりかねない。冒頭の一節はこのあたりのことを危惧して、多くの反撥と批判を覚悟しつつ敢て書かせていただいたものである。
それでは我々はどのようにしたらこの暗黒大陸に足を踏み入れて成果を挙げることができるのか。ひとつの目標を掲げて、この目標達成のために重要なポイントを抽出し、他はとりあえず重要度の低い事項として無視することである。すなわち周囲の木を見て行動するのではなく、夜空に輝く星を見て自分の位置を絶えず確認しながらすすむことである。
この4月から材料力学部門の部門長をはからずもお引き受けすることになり、同業のメンバー諸兄に何かメッセージをと依頼された。たまたまこの原稿を書いているのが正月であり、新年の初夢として何か大きなことをと考えているうちに表題に掲げた言葉が浮かんできた。今日、我国の材料力学の研究者がそれぞれの場で、それぞれのテーマで行っている研究のレベルは極めて高い。しかしこの30年間大きなテーマとして君臨してきた破壊力学と有限要素法はそれぞれほぼその体系化が完成し、次の世代の研究者を惹きつける牽引車とはなり得ない。いきおいテーマが分散し、それぞれがそれぞれの興味に従って研究を行っている。そのような気がしてならない。我々の研究の成果は本当にものづくりの現場において役に立っているのか。今一度、産学の間で厳しい問い直しが必要のように思う。メンバー諸氏が持っている高い研究のポテンシャルをひとつの目標に向かってスピンを合わせれば、表題に掲げたような大きな目標も夢ではないのではないか。新年早々このような大法累を吹くのは私の最も苦手とするところですが、敢えて勇を鼓して言わせていただくことにしました。材力を志す同志諸兄よ、21世紀に向かって暗黒大陸に踏み込むことをものともせず、「強度倍増計画」という大きな目標を掲げて共に歩もうではありませんか。
1998年1月吉日
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