阪上 隆英(大阪大学 工学部)
私は、文部省在外研究員として1996年8月から1997年7月までの1年間の米国滞在を許されました。私はその前半の6ヶ月間をWisconsin大学原子力工学科で、後半6ヶ月間をPurdue大学航空宇宙学科でそれぞれ過ごしました。一箇所に6ヶ月の滞在は、準備に時間を要する実験系の研究を行うためには結構短く、滞在の最後はかなりあわただしく毎日を過ごさねばなりませんでした。しかしながら、二つの異なる大学での生活を体験し、多くの研究者・学生と出会えたことは、私にとってたいへん良い経験になりました。とりわけアメリカの大学生・大学院生に接し、彼らの生活や考え方を見聞できたことは、今後の私自身の研究・教育活動に大きく影響するに違いないと思っています。このニュースレターを読まれる方の中には、「そんなことはすでに言い古されている」と思われる方が多くおられることと思いますが、私が感じたアメリカの大学生の印象を少し書いてみたいと思います。
今回の滞在で私にとって最も印象に残ったことは、「アメリカの大学生・大学院生は非常によく勉強し、熱心に研究する」ということでした。Wisconsin大学では、講義に出席する機会がありましたが、すべての学生が熱心に授業を聞いており、質問も活発に行われていました。居眠りをしている学生など一人もいません。また、教授室は質問に来る学生で常ににぎわっていました。講義が1回あたり50分で週に2回あるいは3回行われるため、学生は集中力を持続できること、常に宿題が出され、時には小テストが行われるため、学生は常に授業内容をフォローしなければならない、など真剣にならざるを得ない理由もありますが、私にはそれ以前の問題である学生の「意識の違い」というものを感じました。それぞれの学生が「自分は何のために大学で学ぶのか」を常に自分に問いながら、真面目に勉強しているように思えました。それこそ真面目に勉強していなかったら、「あの人は何のために大学に来ているの?」と周囲から嘲笑されるような雰囲気をも感じたのです。
Purdue大学では学生と直接対話できる機会を与えていただいたので、学生諸氏に「大学で勉強する理由」、「大学に何を望むか」などいくつかの質問に関するアンケートに回答してもらいました。ここでその結果を紹介することは不可能ですが、ほとんどすべての学生が自分の将来のビジョンを明確かつ具体的に描いており、それを達成するために大学で学んでいるのだと回答していました。大学に望むことの中には、将来自分の希望する社会に出たとき、他のエンジニアと十分に肩を並べられるあるいは上位に立てる教育を期待するという回答が多く見られました。
学生のこの真剣さはどこから生まれてくるのだろうか?と考えてみました。(この際、私の講義の上手下手は棚に上げさせていただきます。)アメリカの学生と日本の学生を比べて最も異なる点は「学生が自立しているかどうか」ではないでしょうか。私の知る限りでは、親から学費の援助を受けている学生はほとんどいませんでした。学問的興味であれ、就職のためであれ、学生は本当に勉強したいから、たとえ働きながらでも大学に行く。したがって、一生懸命勉強し、可能な限り短期間で学位が取れるように努力する。経済的自立と精神的自立は表裏一体であると改めて思いました。さらに、大学にも学生の自立を支援するシステムが出来上がっていることも日本と大きく違う点でした。大学はTA(Teaching
Assistant)やRA(Research
Assistant)として学生を雇用し、これらの学生には授業料も免除しています。また、授業料免除や奨学金は、親の収入とは無関係に優秀な学生に適用されます。さらに、一旦社会に出た人にも、必要を感じた時に大学に戻ってきて学問ができる環境が与えられ、社会もそれを理解し支援していることも日本と大きく違う点の一つです。様々な境遇の学生がいますが、共通するキーワードが「学問」であるという理想的な環境があるように私には思えました。
さらに、アメリカの学生には、「母校を誇りに思う心、愛する心」がありました。特にPurdue大学の航空宇宙学科の学生たちは、学科がアメリカにおける航空宇宙学科のランキングで常に上位に位置すること、卒業生たちがアメリカの航空宇宙分野をリードする地位・職種に就いていることなどにより、自分たちの学科に誇りを持ち、先輩達の後に続くべく一生懸命努力している様子がうかがえました。
今日本の大学は、大学改革の最中にあります。教育・研究のシステムを改革することはもちろん重要なことであると思いますが、それを成功させるために今最も重要なことは、大学に対する「内面からの意識改革」を生むことではないでしょうか?
最後に笑い話をひとつ。Purdueの大学院で勉強している日本人留学生に、「日本の教授とアメリカの教授で最も違う点は?」と尋ねたら、「熱意です。」という答えが返ってきました。次に、Purdueに滞在している私と同じ立場の日本人教官に、「日本の学生とアメリカの学生で最も違う点は?」と尋ねたら、「熱意です。」という答えが返ってきました。この矛盾、どう解決して行けば良いのでしょうか?