ウィングを広げよう材料力学!!

北村 隆行(京都大学工学研究科)

 材料力学は行き詰まっているんじゃないか?意識のどこかでこのような感想をもたれたことはないでしょうか?多くの材力研究者が一度はこのような思いを感じた経験があるでしょう!これは、単なる世紀末の憂鬱にすぎないのでしょうか?
 一方、材料力学には充分な大きさの土俵がある、と感じられることはないでしょうか?人類が道具・機械を使う以上、それを構成する材料に関する知識(とくに、力学)はどうしても必要になる!すべての研究者がこのような自負はお持ちでしょう!これは、単なる新世紀への気負いでしょうか?
 心の中の葛藤が、研究計画の作成や予算申請の時に鎌首をもたげていませんか?
I. 心の中で楽観を支える要素
(1) 多様な工業製品が使用されており、材力はその信頼性を支える基礎になっていること。
(2) 多様な材料の出現。飯の種はつきない。今までもそうだった。
(3) 対象とする現象や機構(変形・破壊)の多様性。

II. 心の中に悲観をもたらす要素
(a) 研究の歴史がありすぎる。(面白い現象が研究されつくされている)
(b) 新材料が実際に役に立つことは稀である。解析が詳細になりすぎていて、ダイナミックさがない。(現在の研究の多くが工業的には有効ではないかもしれない)
(c) 時流に合わない。現代の研究には、”めずらしさ”、”はでさ”、”早さ”が要求される。材力の領域はこの必要条件を満たさない。隣の研究は美味しく見える。
 1996年12月9、10日に箱根で行われた材料と構造物の強度と破壊シンポジウムで多くの若手研究者と接する機会がありました。とくに、今回は「これからの材料強度」をテーマにしたものであったために、上述のような葛藤がぼんやりと浮かび上がっていたのが特徴のように感じました。本文は一参加者の参加報告です。
 上述の要素は、両方とも事実のような気がします。例えば、半導体産業のように、材力研究者の力を必要としている分野はあり、とても有望でしょう。一方、それが従来の材力の範囲を部分的に逸脱しつつあるか、他の領域(例えば、電子工学)の範疇にある。有用であることを体感しているが故の楽観のように思われる一方、悲観的な心証を形成する核は、新たな知識(今まで勉強してこなかったこと)を求められる不安に根ざしている部分が大きいようです。すなわち、悲観は現状の材力領域への閉塞感であり、楽観は材力にはウィングを広げる余地があることなのです。
 若手研究者のみなさん!ウィングを伸ばしてみませんか?ウィングを伸ばす先は、II.(c)の美味しいと思った(材力以外のように感じられる)領域です。材力の良さは懐の深さです。多少の異なった領域は材力と関連性が必ずあります(だから”美味しい”と感じたのではありませんか?)から、突っ込みましょう。ウィングを伸ばすに当たって気をつける点:恥をこわがらない。未知領域は基礎を重視して勉強する。複数の未知課題を一度に相手にしない。急がない。材力との境界領域を意識する。材力の基礎を確実に知る。
 ベテランの皆さん!材力は科学(の一部)でしょうか?かなり以前に”疲労は科学か?”といった奇妙なテーマのユニークな国際会議に出席しました。その会議も基本的に「疲労」に関する研究のウィングを広げることを狙った会議のように感じています。ウィングを広げる際に重要となるのはその基盤です。材力を有用性のみから見ていないでしょうね(I.楽観とII.悲観を参照)。工業的研究と工学的研究があるにしても、その根本は科学としての位置づけでしょうか。ウィングを伸ばすことを若手に頼っていないでしょうね!一番ウィングを広げやすいのは、材力の科学的基盤がしっかりしているベテランですよね。
 勝手なことをえらそうに書いてしまいました。”また、生意気なあいつか”との舌打ちが耳元で聞こえるような気がいたしますので、このへんで失礼いたします。お叱りは今度お会いしたときにうけたまわります(お手柔らかに)。



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